敬老シニアヘルスケアが4施設売却について説明 ⑦
2015-11-09
10月15日のミーティング内容を掲載
本紙では、10月15日にリトル東京の西本願寺において開かれた敬老シニアヘルスケア(以下、敬老)主催の4施設のオーナー変更についてのミーティングの模様の詳細を先月からレポートしているが、11月5日に、敬老施設売却の中止を呼びかけているグループ「敬老を守る会(Save Keiro AD Hoc Committee)」の活動に、新しい動きがあった。
同会は、敬老施設の売却中止命令を出すように、カマラ・D・ハリスカリフォルニア州司法長官に要請する嘆願書をコミュニティに呼びかけていたが、「敬老を守る会」の執行部メンバー、チャールズ井川さんによると、司法長官からの返事が井川さん宛に送られてきたという。返事には、①司法長官は売却を中止することを承認しない、②売却後に施設が売却条件に沿って運営されているかをチェックする機関「Community Advisory Board」が作られるが、このメンバーに3人の「敬老を守る会」メンバーを入れることが記載されている。詳細は同会のウェブサイトsavekeiro.orgに掲載される予定。
敬老施設売却中止を訴える「Save Keiro AD Hoc Committee」の赤い布を身につけて発言するドクター入江
ドクター入江健二Save Keiro AD Hoc Committee執行部メンバー
(6回のつづき)ミヤケさんは、2013年12月に、日系人のための敬老売却説明会を開かれました。地区の司法長官の承認を得れば、日系社会からの賛同を得る必要はないと、その席上で言い放ったのです。まるで、敬老が日系所属の財産であることを忘れたかのようでした。ミヤケさんは日系社会から敬老施設の管理を依頼されたにすぎません。
もし近い将来の経済的困難を予測し、お仕事の継続に自信を失われたのなら、日系社会と相談すべきだったのです。それに、日系パイオニアセンターに、南加日系商工会議所、南加県人会協議会、小東京サービスセンター、総領事館などの諸団体、それに各界の代表を招いて相談できたはずです。その場では、売却の説明ではなく、売却してよいかと許可を求めるべきだったのです。これは、日系社会が持ち主ですから当然のことと思いますが、ミヤケさんはそれをしませんでした。手続き上大きな誤りがあったと思います。
もう一つ指摘したいことがあります。実はこれを言いたくて私はここにきたのですけれど、ミヤケさんたちは、敬老の土地や建物だけでなく、中にいる居住者も売ろうとしていることです。といいますのも、居住者は自分のお金を使って、居住費を払い続けています。この人たちがいなかったら、もちろん買手などつきません。居住者はリンゴやオレンジではありません。人間です。血も涙もあります。そして、この方々には家族も友人もあって、みなさん、敬老の将来を心配しています。それらの方々に対し、ミヤケさんたちは売却について、これしかないと押し付けるのではなく、売却を決める前に、同意を求めるべきだったのです。
基本的なケアは維持されるなどとおっしゃいます。基本的なケアは思いやりです。敬老スタッフの方々は、毎日それを居住者に示しています。敬老スタッフは宝物です。しかし、ミヤケさんたちが日系社会に、なかんずく敬老居住者に思いやりを示したとは思いません。売却をキャンセルしてください。そして、始めからやり直すべきです。お願いします。
ティム・マナカ敬老引退者ホーム理事(10月15日のミーティング司会者)
次のスピーカーは、ジャック・クリハラさんです。(カワグチさんが出てくる)
ゲリー・カワグチ敬老シニアヘルスケア理事長
私はただ一つのことを言いたいのです。一番最初に申し上げたように、売却するという決断をくだしたのは理事会です。多くの人がショーン・ミヤケ敬老CEOを指差すのを見ました。私を指差しなさい。OK?私たちが売却を決めました。ショーンではありません。
ジャック・クリハラさん/UCLAのヘルスシステム勤務
UCLAヘルスシステムに勤務するジャック・クリハラさんは現在のヘルスケア制度改革の影響を話した
ジャック・クリハラです。基本的に三世です。子供もいます。私のバックグラウンドはヘルスケアです。この業界に35年間働いています。100以上の病院、営利企業、カリフォルニア州のヘルスケアでも働いてきて、18年間は、UCLAのヘルスシステムに勤めています。
私は、基本的に、ヘルスケア制度改革で何が起きるのか、UCLAのヘルスシステムにどのような影響があるのかについて全体像をお話するために、ここに来ました。 UCLAヘルスシステムは、3ビリオンドルの会社で大きいです。2000人のドクターがいて3つの病院があります。これだけの規模と施設があるにもかかわらず、私たちは十分大きくはないので、パートナーを探しています。私たちは敬老のようなナーシングホーム(看護施設)を持っているポスト・アキュート・パートナー(post acute partner:病院での手術や治療の後に行く施設)とやっていく予定です。これはとてつもない大きな経済的なリスクを抑えることができます。現在は、移植手術をした患者さんを病院から直接、ポスト・アキュート・センターに移しています。これではヘルスシステムとしては経済的なリスクが高まります。これがヘルスケア制度改革のインパクトです。
35年間この業界にいるとヘルスケアの定義の一つは「変わることを受け入れること」ではないかと私は思います。私たちは、ヘルスケアが変る環境の中にいます。敬老も変化する必要があります。コダック社を考えてみましょう。コダック社は倒産しましたね。コダック社は、フィルムからデジタルへ移行していたのに気づきませんでした。彼らはそれに対応しませんでした。だからもう存在しません。敬老を見てみると、みなさんにはレガシーが大事でしょう。敬老が将来、あなた方の子供たちに受け継がれるようにしたいはずです。建物だけにフォーカスすべきではありません。なぜなら幻想だからです。
私は、 大小は関係なく、どの企業についても言える話をしています。 私たちは、スキルド・ナーシング施設を5〜7つ所有していて、約350人の患者さんを抱えています。患者さんたちは、病院によってモニターされています。在宅介護に向かおうとしているのがメディケアの動きです。そうなると遠隔で操作できるディバイスを使います。なぜなら、高いコストのものを減らさなければ、企業が支払わなければならないのですから。
ティム・マナカ敬老引退者ホーム理事(10月15日のミーティング司会者)
次のスピーカーは、ケン・ハヤシさんです。
(左)エレクソンさんは、敬老の理事たちに、敬老の施設で暮らす高齢者の声を伝え、質問をした(右)ハヤシさんは、敬老の理事たちの苦渋の決断を支援しようと、コミュニティに呼びかけた
ケン・ハヤシさん/元敬老シニアヘルスケア勤務
ケン・ハヤシです。私は、敬老ナーシングホームがオープンした1968年に敬老で働いていました。エドウィン・ヒロトさんが私を雇ってくれました。私はベトナム戦争から帰って来て、除隊したばかりでした。
当時、ナーシングホームの業界で働いてさまざまな体験をしました。この業界はとても低く評されていたと思いますし、フランク・カワナ前敬老シニアヘルスケア理事長もいて、私たちはいろいろと変えていったと思います。その業界の暗いイメージを変えていきました。敬老シニアヘルスケアは、名前の通り「高齢者を敬うことを基本としている」からこそ、敬老シニアヘルスケアは特別なのです。
紳士の皆さん(敬老理事に向かって)、レガシーを皆さんに引き渡しました。敬老の施設売却を聞いた時はとてもがっかりしました。私は、シティ・ビュー病院(敬老の傘下にあった日系人のための病院でリンカーンハイツにあった)が閉鎖された時のことも覚えています。これもとても厳しい決断だと思います。
(会場の出席者に向かって、コミュニティの)みなさんには、どうかご理解していただきたい。みんな、それぞれが異なる意見を持っています。理事たちでさえも異なる意見を持っていたでしょうし、異なる意見があった時は、討論しつくしたことでしょう。時には難しい決断もあります。理事全員が賛成するとは限らないからです。しかし、クリハラさんがおっしゃったように、コダックや他の企業が将来に起きることをきちんと見極めることができず、変化に対応できず、つぶれてしまった例もあります。
私は、(コミュニティの)みなさんにお願いしたいことがあります。みなさんがどんな意見を持っているかを理事たちに言ってほしいです。それがコミュニティの組織というものでしょう。しかし、決断は理事たちがするもので、それが彼らに課せられた任務なのです。彼らはボランティアとして厳しい任務を果たしています。これまでの理事たちは5〜7年間の任務期間で何も決めなかっただけかもしれません。誰もコメントしなければ、何も変わらないからです。しかし、いつかは難しい決断をしなければならない時がくるのです。
コミュニティのみなさんには将来について注目をしてほしいのです。資金があれば、多くの「良いこと」ができます。クリハラさんがおっしゃったように、多くのヘルスケアが自宅介護へなっています。最近のヘルスケアは、昔のスタイルとは違います。UCLAさえも変らないとならないのですから、敬老も変らないわけにはいきません。理解するようにお願いします。コミュニティのみなさんには意見を持ち続けてもほしいです。しかし、理事たちも彼ら自身にとって厳しい決断をしたという事実を尊重しようではありませんか。理事たちの親御さんたちも敬老で暮らしているのです。敬老の創設は私たち全員にとって特別です。特別な人たちにとって、敬老は特別な場所です。(敬老は)変らないとならないのです。理事たちを支援しましょう。
ヘレン・フナイ・エレクソンさん/敬老シニアヘルスケア・ボランティア
私は、政治的なことはわかりませんが、私は敬老のボランティアとしてここにきました。多くの居住者たちが私の所へ来て、「5年以内に死にたい」と言うのです。だから、この問題に関わることにしました。施設売却が最終的決断としても、5年間の条約が切れた後に、家もなく、家族もいない、お金も残っていない居住者たちに何が起きるのでしょうか? 売却のお金をトラストに入れて、今の居住者たちが今のようにいられて、亡くなるまで家もあり、良い医療も受けることができると確約してはどうでしょうか?
ライアン・ケースさん/アスペン・スキルド・ヘルスケア社
(敬老ナーシングホーム、サウスベイナーシングホーム、中間看護施設を運営する会社)
私は売却したお金などについて話すことはできないので、理事に話してもらいますが、施設をどのように運営するかについてをお話します。私たちは、何かを変える計画はありません。時が過ぎれば、やむを得ず変えなくてはならないこともあるかもしれません。
しかし、移行期間中に何かが欠けたとしても、私たちは非常に情熱を持っております。あなた方は私たちにとって大切な人々です。あなた方にとってもそうであってほしいと思います。敬老は大きな組織で、驚くほどのレガシーを持っています。私たちはこの一員になれることを名誉に思いますし、あなた方と反対側になるようなことはしたくありません。あなた方の一員として加わりたいと思っています。これまでに行われているプログラムもありますし、名誉あるレガシーがこれから先50年は継続するようにしたいと考えています。ボランティアのみなさまも含めてです。
変化が怖さを作り出していることを、私は理解しています。私は20年以上のスキルド・ナーシング施設に関わってきた者として言わせていただくと、この間、誰一人、追い出した人はいません。
ショーン・ミヤケ敬老シニアヘルスケアCEO
ライアンさんが言ったことに一つだけ付け加えたいと思います。彼は誠意ある人です。パシフィカ社とアスペン・スキルド・ヘルスケア社は、今晩、この会場に来た時に、私たちに敬老に関わり続けてくれないだろうかと私に言ってきました。助けること、教えること、一緒に働くことです。彼らは、私たちが今日までやってきたことを維持することの大切さを理解しています。私たちは、これからの5年間についてたくさん話し合いました。そして、これから20年間は続く関係を持ちたいとお互いに思っています。彼らは、私たちの所へ来て、手伝ってほしい、相談にのってほしいと言いました。私たちは、敬老が今後も成功し続けることを確実にしたいのです。
(つづく)
■これまでの経過 1961年設立以来、敬老は多くの日系人高齢者が親しみのある言葉、食べ物、価値観で暮らせる「自宅」のような環境を提供してきた。今年6月2日、敬老は、4施設(敬老ナーシングホーム、サウスベイ敬老ナーシングホーム、敬老中間看護施設、敬老引退者ホーム)を売却する契約をパシフィカ社(Pacifica Companies LLC、 本社:サンディエゴ)と結び、9月8日には、施設売却における条件が加州司法長官より承認されたと発表した。現在はエスクローに入っている。
「敬老を守る会(Save Keiro Ad Hoc Committee)」9月初旬、敬老施設売却を知ったコミュニティの4人が売却に反対しようと立ち上げたグループ。9月29日と10月13日に誰でも参加できるミーティングをリトル東京のセンテナリー合同メソジスト教会で開き、のべ数百人が参加して売却阻止に向けた対策を話し合った。現在は、加州司法長官宛とショーン・ミヤケ敬老CEO宛への要請書の支持を求める署名運動を行っていた、11月5日、司法長官から返事があった。詳細は下記まで。
www.savekeiro.org(日英両語)
=Tomomi Kanemaru

