HIS

ロサンゼルスの求人、クラシファイド、地元情報など

日刊サンはロサンゼルスの日本語新聞です。 記事は毎日更新、求人、クラシファイドは毎週木曜5時更新。

特集記事



JANMへ行こう!! vol.24 - 二つの祖国のために戦った帰米二世から話を聞く2


今月のガイド
安田ヘンリー章一郎 さん

アメリカ生まれの帰米二世。10歳のときに日本へ養子として送られて、二重国籍のため海軍兵学校に入学。戦後はアメリカに戻り、朝鮮戦争に戦争処理のためアメリカ兵として徴兵される。その後、日本勤務になり、軍隊で通訳として働きながら戦後の日本の復興を手助けする。再びアメリカに戻りビジネスを展開。引退後は日系社会やJANMでボランティア活動に力を注ぐ。



―安田さんは戦後、再びアメリカに戻りました。どうしてですか。

「私の両親兄弟たちが戦争中、4年間もアメリカで強制収容所に入り、戦後に日本へ帰ってきました。ずっと音信不通で、突然、無一文で帰ってきたんです。

 戦後、私は広島高校に入学しました。ある日、母が『5人も兄弟がいて大変だから、あんたアメリカに帰る気持ちはないか、収容所で一緒だった親友が引き受けてくれるから』って。驚いたけれど戻る決心をしました。父は全財産もプライドも失って『あんな所には絶対に行くんじゃない。アメリカの排斥にお前が耐えられるか』と猛反対でした。

 数週間経って、父が『3ヶ月間、肥だめの肥料を担げ』って。最初はひっくり返したり、体中べったべたでね(笑)。3ヶ月後、父は『お前がそれだけ頑張り耐えられるなら、アメリカに行っても何でもできるぞ』と言って、渡米を許可してくれました」


―19歳で久しぶりにアメリカに戻り、いかがでしたか。

「今度は英語ができませんでした。両親の友人の店で働きながら、グレンデールの高校に1年籍をおいて朝から晩まで英語ばかり。私は非常に幸運でいろいろな人にお世話になりました。日本人びいきのミセス・クレアという英語の先生がいて、学校が終わると英語を教えてくれました。発音を丁寧に教えてくれました。

日英両語話せるので大学では国際ビジネスを専攻しました。また幸運に恵まれてね、スクールボーイ(住み込みで家事手伝いなどをする)をしながら卒業しました」


―卒業後、アメリカ軍に徴兵されて韓国、日本へ行きましたね。

アメリカ軍に徴兵され朝鮮戦争に行った安田さん
「朝鮮戦争の残務処理で韓国へ、1954年、日本にあった情報本部配属になりました。あの頃、韓国では日本語を話していたので、帰米二世は重宝されました。

55年9月に義務徴兵が終わったのですが、国防省太平洋極東調達本部所属のアメリカ代表契約官に任命されて64年まで日本にいました。当時アメリカはソビエトと冷戦状態で、日本を防御の壁に作りあげるために、日本と韓国の復興を急いだんです。極東に配置されたアメリカの飛行機、戦闘機、輸送機、爆撃機などの定期的な修理を日本ですれば、節約にもなるし日本の航空産業の促進にもなる。幸運にも私は日英両語が話せてビジネスの学位もあったので、私がアメリカと日本企業の仲介役になったんです」



ガイド・ツアー オンラインお申し込みはコチラ▶




もっと知ってJapanese American!
「日本村のあった島・ターミナル・アイランド①」

コミュニティの象徴ともいうべき鳥居が据えられたモニュメント。


当時、ターミナル・アイランドの日本村には神社があり、漁の安全や日系住民の無事安穏が祈願された。
新天地を求めて日本から移民として渡ってきた人々がこの地に定住を始めた1900年代前半、一世のほとんどが男性で、海の幸を求め、漁業を唯一の生活源として生計を立てていた。その後、女性も渡米して少しずつ家庭が増え、子供も生まれて日本人のコミュニティが形成されていった。


1940年代、この地で生活をしていた人数は約3000人。アメリカの地にありながら日本人としての誇りを胸に、日本の精神や文化を尊重した。教会を使った学校では日本語を子弟に教え、近くには剣道や柔道、習字を教える所もあった。女性の大半は近くの工場に勤務し、水揚げされた魚介類を缶詰めにする仕事に従事していた。異国の地で働くことへの不安を皆で支えあい、助け合い、励まし合って生活していた。


その安らかな地を心の拠り所として日本を偲びつつ「古里」と呼び、新天地での暮らしの安定を求めて、勤勉に働き続けていた日系人たちの姿が浮かび上がってくる。モニュメントには、 「沖は黒潮 魚もおどる 父母の辛苦を偲びつつ 永遠に称えん いにしえの里」と書かれている。



当時、一世の多くは移民としてアメリカ社会に受け入れられていたが市民にはなれなかった。しかしターミナル・アイランドで生まれた二世には誕生地主義のアメリカの法によって、市民権が与えられた。一世の親から日本の良きところを受け継ぐとともに、アメリカ生まれの彼らは“アメリカの良き市民”であろうとした。


しかし、1941年12月7日、日本軍によるハワイの真珠湾攻撃で、日系人の生活は一変する。
(次回へつづく)





写真・文 JUNZO ARAI, 写真・文・構成  TOMOMI KANEMARU


JANMに行くと日刊サン読者にプレゼント!

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2014/01/18 掲載

Facebook   Twieet


[ 人気の記事 ]

フレッド 和田 - 東京五輪を実現させた日系アメリカ人

フジタ・スコット - アメリカの大和魂 

日系社会のフロンティアを尋ねる vol.4 - アイリーン・ヒラノ・イノウエ 米日カウンシル会長

JANMへ行こう!! vol.7 - 日系アメリカ人について、もっと知ろう!

JANMへ行こう!! vol.20 - 展示物にも書かれていないガイドの秘話が魅力

JANMへ行こう!! vol.29 - 忠誠登録27番と28番の答えと背景を聞く

JANMへ行こう!! vol.16 - 子供は日系人強制収容をどう見ていたのか?

JANMへ行こう!! vol.3 - 人種のるつぼLAだから人種について学びたい!

JANMへ行こう!! vol.30 - 日系アメリカ人の“帰米二世”について学ぶ

JANMへ行こう!! vol.15 - 差別・不当な扱いを乗り越えた日系人の話を聞く



最新のクラシファイド 定期購読
JFC International Inc Cosmos Grace 新撰組3月b Parexel pspinc ロサンゼルスのWEB制作(デザイン/開発/SEO)はSOTO-MEDIA 撃退コロナ音頭 サボテンブラザーズ 





ページトップへ