JANMへ行こう!! vol.31 - JANMを支えるボランティアの活動を聞く
今月のガイド

1933年カリフォルニア州セリナス生まれ。長女で11人の弟と妹がいる。81歳。父親は10歳のときに日本からアメリカに来た。母親は帰米二世。戦争中、小学校4年のときにセリナスのアッセンブリー・センター、そして、アリゾナ州ポストンの収容所に送られた。日本語を話す。1997年からJANMでボランティアを始める。
―セリナスからアリゾナ州ポストンに収容される前のことを聞かせてください。
父は10歳のときに日本からアメリカに来て車のメカニックになり、ガレージを経営していました。当時、アメリカでは外国人が土地を所有することは法律で禁じられていました。そこで、帰米二世の母の名義で土地を購入しました。あの頃、アメリカ市民権を持たない出稼ぎの日本人たちも多かったので、土地はもちろん家も購入できませんでした。そこで、強制収容前に両親の日本人の友人たちが収容所には持っていけない荷物を車に詰め込んで、父のガレージに入れました。父のガレージは大きかったので全て無料でスペースを提供しました。収容所に送られる前、私たちは家とお店の窓に板を貼り、鍵は不動産会社の人に預けて家を出ました。
―第二次世界大戦が終わり、収容所を出た後はどうしましたか。
私たち家族は家があったのでセリナスに戻りました。家の外側は大丈夫でしたが、中にあった大事な物、奇麗な物は盗られていました。父の釣り道具、祖母が私に送ってくれた着物、おひな様もありませんでした。家具や冷蔵庫はありましたが、父の商売道具も盗られてなくなっていました。大きい道具や機械には父の名前が入っていたので、政府の人が町中を探してくれて、いくつか戻ってきたとき、父はとても喜んでいました。終戦直後、ガレージを再開しても、ほとんどのお店がガソリンや車のパーツを父には売ってくれませんでした。けれど二人の白人の兄弟だけが販売してくれました。夜になると、父のお店にガソリンを入れにきてくれて、パーツは閉店後にオーダーしました。彼らは日本人が好きだったんです。しばらくすると他のお店でも取引をしてくれましたが、自営業をするのは大変な時代でした。
―「差別があった」と言っても、全ての人が差別をしたわけではなく、日系人を助けてくれた人たちもいたんですね。政府の政策や社会の風潮に流されず、個人で判断して行動する大切さを感じます。他の日系人たちは、終戦後、どうしたのでしょうか。
多くの人が土地を所有していなかったので、セリナスには戻ってきませんでした。セリナスに仕事を探しに人が来ると、どこにも泊る所がないので、みんなが私の家に泊まりました。ご飯は、母がいつも私たち12人兄弟姉妹のためにたくさん作ったので問題はありませんでした。町のお寺は住む所がない家族で溢れていました。何年か経ち、その頃に泊った人たちが「お陰さまで」と母にお礼を言っても、ものすごい数の人が家に泊ったので母は覚えていませんでした。あの頃はとても厳しい時代だったので、日系人同士、助け合って生きていました。
―メイさんは、どんな子供でしたか。
私は長女で11人の弟と妹がいたのでお山の大将でした。収容所から戻ったときは7年生で、私も弟も学校のトップクラスに入りました。収容所の先生は本当に素晴らしかったです。収容所に行く前は読書が大好きでした。収容所に入ると本があまりなく、本を買うお金もなかったので、とても本を読みたかったです。だから収容所から戻ると、図書館に通って本を読みふけりました。
日系史は大切だから伝えたい
―1997年からJANMでボランティアを始めたきっかけを聞かせてください。
リタイヤするまで仕事やPTA活動、教会の日曜学校の先生をしたりと忙しくしていました。だからリタイヤ後は自分のことをしようと思い、野菜や花を育てたり編み物をしていました。けれど、あるとき、「コミュニティーのために何もしてないわ!コミュニティーに貢献したい!」と思ったんです。また日系史が好きでしたし、もっと勉強したかったんです。
―JANMでのボランティアについて教えてください。
JANMにはいろいろなボランティアがいます。私たちが関わる部分は、来館者の案内をするガイドとオペレーショナルの二つです。オペレーショナルと呼ばれるボランティアは、主に来館した学生のグループに折り紙を教えます。その他には博物館の雑用など何でもします。メールの仕分け、ギフトショップの商品に値段をつけたり、商品を並べたり、イベントやミーティングの準備をしたり、来場者からのアンケート調査のデータ入力、それにときどき刺身を切ったりね(笑)。
―ボランティアが担っている役割は大きいですね。驚きました。
ガイドとオペレーショナルには各曜日ごとにリーダーがいて、私は木曜日のオペレーショナル・リーダーです。木曜日のボランティア・グループでは3ヶ月ごとにバースデーランチをします。お誕生日ではない人が料理を持ち合って、みんなで一緒にご飯を食べて、バースデーの歌を歌ったら楽しいですよ。私の子供は近くに住んでいるので誕生日には誰か一緒にいるけれど、ボランティアのなかには子供が遠くに住んでいたりするので、誕生日を一緒に祝えない人もいます。以前、バースデーランチをやめる話が出たのですが、あるボランティアが「そうしたらバースデーがなくなる」と言ったので続けることになりました。いつも同じメンバーが一週間に一度会うので、みんな、友だちになりますよ。
―ボランティアのみなさん、高齢の方が多いようですね。
多くが80代で、私ももうすぐ81歳です。昨年は3人のボランティアが88歳になりました。けれど、まだ自分で運転して通ってきていますよ。私たちの後ろを見たら、誰もついてきていないことが、とても怖いです。若い世代のボランティアがとても少ないんです。私たちの世代は、日系史が大切だと思っているので、ボランティアをしています。たくさんの日系人が苦しんだことやアメリカ政府との和解のことなどを、まだ多くの人が知らないので知ってほしいです。このことを伝えているのがJANMなのです。
写真・文・構成 Tomomi Kanemaru
ガイド・ツアー オンラインお申し込みはコチラ▶

入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。
JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。
100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)
★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645
2014/04/19 掲載

