JANMへ行こう!! vol.47 - 家族が“刑務所キャンプ”に送られた理由を知りたい2
今月のガイド

1947年サンタマリア生まれの日系二世。日系一世の父と帰米二世の母を持つ。長兄はヒラリバーで、次兄はツールレイクで生まれる。エルセグンドにある空軍基地内でファイナンシャルの仕事をし、50代半ばで引退。引退後は、友人でJANMボランティアのリー・ハヤシさんの勧めもあり、2005年からJANMでガイドとしてボランティアを始める。
―サカモトさんのご両親は、忠誠登録の質問27番と28番に「ノー、ノー」と答えたから、ツールレイクの“刑務所キャンプ(収容所)”へ送られたのですか。(「JANMへ行こう!!vol28」参照)
いいえ、父は全質問に答えず、「日本へ帰国する」とアメリカ政府に言ったからです。ツールレイクには、各地のキャンプから次のような日系人が送られてきました。忠誠登録の質問27番と28番に「ノー、ノー」と答えた人、質問に全部答えなかった人、日本への帰国をアメリカ政府に伝えた人が主です。私の両親はヒラリバーから移動してきました。
収容初期からツールレイクに入れられた日系人で上記にあてはまらない人は、他の収容所に移動させられました。しかし高齢者や病人、小さい子供がたくさんいる家族など他への移動が困難な人たちは、ツールレイクに留まりました。
―ツールレイクで暮らした人々には、本当にさまざまな理由があったのですね。ツールレイクの刑務所キャンプの様子を教えてください。
ツールレイクは他のキャンプと比べて、日系人への待遇が本当に悪かったんです。日系人はアメリカ政府によって不当な扱いを受けました。
アメリカでは平和的なプロテストは合法で、憲法で保証された権利です。例えば労働者のプロテストや政治的なプロテストがそうですね。誰かを殴ったり、暴動になったり、爆弾を使ったりするプロテストはもちろん違法です。
第二次世界大戦中、日系人が「キャンプの食べ物がよくない」とか「不当な扱いを受けている」などとプロテストをして、キャンプの運営者がそれを「気にくわない」と思ったら、その日系人はツールレイクへ送られるか、刑務所に入れられて暴行されるかでした。
あるキャンプの運営者は、日系人のことを“無実の被害者”だと考えていました。良くない環境だけれど最善を尽くそうという姿勢が運営者側にあったようです。
しかし、ツールレイクは全く違いました。刑務所でした。そこに収容された日系人は囚人であり、亡命者と見なされました。プロテストは許されないし、運営者であるアメリカ陸軍は日系人の要望などに耳を貸しませんでした。プロテストをやめない時は、催涙ガスをかけたりしたそうです。マンザナの収容所では人が撃たれましたが、おそらく平和的プロテストを超えたことが起きたからではないでしょうか。
―サカモトさんが、ご家族から聞いたツールレイクの様子で、衝撃的なことは何でしょうか。
父から聞いた話で一番ショッキングだったことがあります。ツールレイクの刑務所キャンプを統治した陸軍は、8台の戦車をキャンプ内に持ち込んだのです。警察は、通常、マシンガンを装備したジープなどを持っています。これだけでも十分恐ろしい状況だと思いますが、ツールレイクには8つの戦車が装備されたんです。
こんな状況の中、父は「何か悪いことが起こるかもしれない」と不安になったことが一度だけあったそうです。ある晩、6台の戦車がツールレイクの敷地内を一晩中、巡回していたそうです。ある人は、朝になったらフェンスに一列に並べられて、マシンガンで殺されると思ったそうです。父は「この時ばかりは、家族の安全が心配になったよ。悪いことが起きなくて本当によかったよ」と、私に話してくれました。
私はこれを聞いて、こんなことがアメリカで起きていたと知り、非常にショックでした。
「なぜ、アメリカ政府はこんなことを、お父さんたちにしたんだよ!お父さんたちは、合法な外国人住居者として、アメリカに住んでいるのに!お母さんは二世でアメリカ人なのに、まるで犯罪者扱いじゃないか!戦車まで出てくるなんて、まるでお父さんたちが“敵”みたいじゃないか!」と、私は納得できませんでした。
ツールレイクの刑務所キャンプにいたのは、成人男女、老人、小さな子どもたちだったのにもかかわらず、そこには千人ものアメリカ兵が配属されました。彼らは訓練された兵士で、マシンガンやライフルという武器を持っていました。キャンプ内の日系人たちは本当に怖かったと思います。
もう一つは母方の祖母から聞いた話です。戦後、祖母は日米にいる子供の家族の間を10年毎に行ったり来たりしていました。アメリカ滞在中は私たち家族と一緒に暮らしました。祖母はとても素敵な人で、決して人の悪口を言うような人ではありませんでした。その祖母が、一度だけ「人のことを悪く」言った時がありました。
ある日、祖母は日系新聞に、ツールレイクの刑務所キャンプに来ていた医者の訃報記事を見つけました。それを見て、「やっと亡くなったわ」と言ったのです!私は驚いて「ばあちゃん、なぜそんなことを言うんだよ!」と、私は言いました。すると祖母は、祖父の死について話してくれました。私は祖父が戦時中に亡くなったのは知っていましたが、どのように亡くなったのかは、全く知りませんでした。
祖父はツールレイクで亡くなりました。原因は皮膚病によるものです。祖父は病気がちで、体に赤い斑点が出たり、炎症を起こしたりしていました。ある金曜日、祖父の病状が悪化しました。そこでキャンプ内の病院に運ばれ、キャンプ外に住んでいたツールレイクの担当医を呼ぶことになりました。医者から「病状が非常に悪い」と診断された人は、キャンプ外の病院に送られて治療を受けられたのです。しかし、この医者は「月曜日まで待て」と言って往診を拒否して、祖父を診てはくれませんでした。彼は普段から日系人たちを「ジャップ」と呼んで差別したり、日系人を扱う態度は、それは酷かったといいます。
土、日の二日間で祖父の症状は悪化して、その後、亡くなりました。祖父が収容所で亡くならなければならない理由は、どこにもありません。ちょっとした薬さえあれば、助かったかもしれません。祖母は、祖父の死後は再婚もせず、亡くなるまでの47年間、ずっと未亡人でした。
この二つの出来事は、私にとってとても衝撃的でした。
(つづく)
写真・文・構成 Tomomi Kanemaru
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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。
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2014/11/08 掲載

