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JANMへ行こう!! vol.53 - 国のために己を捧げた日系二世の祖父は“理想の人”


今月のガイド
ライアン・タケトモさん

日系四世の24歳。父方の曾祖父は和歌山県出身。小さい頃からカブスカウトでコミュニティ活動に奉仕。現在は大学院で勉強中だが、日系オプティミストクラブやLA七夕祭り運営委員会など多数の日系団体でボランティア活動も行っている。2014年夏には国際交流基金が主催する「カケハシプロジェクト」に参加して東京と福島県を訪問。



祖父の体験を伝える

―タケトモさんは日系四世で、JANMのボランティアの中では若い世代です。なぜJANMでボランティアをしようと思ったのでしょうか。

タケトモさんの祖父シュウジさん。左は第442連隊戦闘団所属の若かりし頃の写真
私の父方の祖父は戦前からアメリカ陸軍に所属していた兵士でした。日本が真珠湾を攻撃した後、祖父は陸軍の訓練をはずされて、在庫管理などの任務にまわされました。差別されたにもかかわらず、カリフォルニア州で暮らしていた家族が強制収容されたにもかかわらず、戦時中、祖父は日系人部隊の第442連隊戦闘団(以下、442)に所属してヨーロッパ戦線で戦いました。「失われた大隊」の作戦にも参加して、2つの勲章を授章しました。祖父は私の理想の人です。勇敢にアメリカのために己を捧げた祖父の姿に影響されて、私もコミュニティのために人のために奉仕したいと思うようになりました。また祖父や日系人たちが通った道のりを学びたいと思いました。
 高校を卒業した2008年にJANMのスタッフに勧められて、あるワークショップに参加しました。そこで日系退役軍人の方々のお話や将来も継承し続けなければならない日系人のお話を聞いて、JANMでボランティアをしたいという気持ちが強くなりました。大学に進学すると忙しくて時間が作れませんでしたが、大学院生になると時間ができたので、JANMでガイドのボランティアを始めました。
 JANMでのボランティアを通して、LA七夕祭りやリトル東京サービスセンターなどさまざまなコミュニティ活動にも参加するようになりました。その中で出会ったのが、私が理想とするもう一人の人、ナンシー・キクチさんです。彼女は昨年、若くして亡くなりました。彼女はいつでもどこででも人助けをしていました。休みなく行動し続けた人でした。私も時間があれば、できる限り人の助けになることをしたいと思っています。コミュニティでの活動を通して、日系文化や祖父の体験などをたくさんの人々と分かち合いたいと思っています。


―おじいさまは、タケトモさんにどんな体験をお話をしたのでしょうか。

タケトモ家。(左から)エイミーさん(伯母)、リックさん(父)、シュウジさん(祖父)、チエコさん(祖母)
特に晩年は、フランスのブリュイエールでの戦いのことを話してくれました。442の部隊はドイツ軍と激戦を繰り広げ、ブリュイエールの街を解放しました。その時、街の人々はアメリカ人部隊に感謝したそうですが、彼らを救ったのは白人でもヨーロッパ人でもなくて、アジア人だったことにとても驚いたそうです。
 祖父は正義については話しませんでしたが、国のために奉仕したことは正しかったと言っていました。たとえ人種差別があろうとも、家族が強制収容されようとも、アメリカ政府が自分自身や家族やコミュニティにしたことにかかわらず、国のために己を捧げるべきだと考えていました。
 2013年、私は祖父の家族が収容されたカリフォルニア州マンザナの収容所跡地を訪問しました。そこには博物館が建てられていて、大きなバナーには収容者たちの名前が書かれていました。祖父の家族の名前を見つけた時、私は動けませんでした。自分の家族が歴史の中の一人だったんだとあらためて自覚した瞬間でした。
 母の家族についてはあまり知らないのです。母方の祖父は帰米二世で祖母は日本人です。祖父はすでに他界しました。祖母は日本語が主なので“言葉の壁”があって、細かいコミュニケーションがとれないのですが、もっと知らないといけないなと思います。


社会の多様性に感謝謝

―他の日系四世たちも、タケトモさんのように幾つものコミュニティ団体で活動したり、日系史に詳しいのでしょうか。

私の場合は四世の中でも例外だと思います。ボランティアをしている友人はいますが、ほとんどが一つの団体で活動しています。日系史や家族史については、生まれる前に祖父母が亡くなったため、話を聞く機会がなく、よく知らないと話す四世もいます。
 私の場合は幸運にも父方の祖父は94歳まで生きていてくれたので、私は長い間、祖父と過ごすことができ、いろいろな話を直接聞くことができました。しかし父は祖父から一度も戦争の体験など聞いたことがありません。祖父が心的外傷後ストレス障害だったかどうかは分かりませんが、祖父は私が生まれてから体験を話し始めたそうです。


―多くの三世や四世が家族から体験を聞いたことがないそうなので、タケトモさんは本当に幸運だと思います。一世や二世の時代に比べて、今日の社会は人々の人種差別への認識も変わり、暮らしやすくなってきたと言えます。しかし人種差別がなくなったわけではありません。今日におけるJANMの存在意義は重要性を増している感じがしますが、いかがお考えでしょうか。

昔とは違う形でですが、現在も人種差別が原因と思われる事件が私たちの身の回りで起きています。誰もが差別される可能性を持っている社会であることは、残念ながら否めません。
 JANMは、これまでもアメリカの歴史を日系アメリカ人の観点から人々に伝え続けてきました。JANMの来館者たちは、アメリカの過去の出来事や日系人の体験に触れることで、アメリカの現在と昔の違いを認識し、アメリカにおける人種と文化の多様性に対する理解を深めることができると思います。また多様性を持つアメリカ社会に感謝する気持ちも高められることと思います。


■失われた大隊 1944年秋、ヨーロッパ戦線にてテキサス大隊がドイツ軍に包囲された。救出困難とされていたが、ルーズベルト大統領が第442連隊戦闘団に救出命令を出し、テキサス大隊の救出に成功した。しかし211人の救出のために、第442連隊戦闘団は800人以上の死傷者を出した。


写真・文・構成 Tomomi Kanemaru


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入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

2015/02/14 掲載

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