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JANMへ行こう!! vol.58 - 歴史を学ぶと先祖や両親への感謝が深まる


今月のガイド
ゲリー・オノ さん

日系三世。JANMでは資料の写真を撮影するボランティアをしている。第二次世界大戦中は、コロラド州アマチに強制収容された。 日系史のドキュメンタリーを制作したり、DiscoverNikkei.com に 記事を投稿したりと精力的に活動を続けている。




― オノさんは、お父様のサム・マサミ・オノさんが第二次世界大戦中に任務に就いた日本向けの短波放送についてのドキュメンタリーフィルム「Calling Tokyo」を2013年に制作したり、ご家族がかかわったフォーチュン・クッキーの起源について書いた本「Japanese American Fortune Cookie」を2007年に出版したりと、日系史と家族史の記録保存と発信に力を入れていますが、その理由を教えてください。

2013年に制作されたドキュメンタリーフィルム「Calling Tokyo」。秘密にされた日系人アナウンサーたちの貴重なインタビューが記録されている

「Calling Tokyo」については、まだ多くの人が知りませんし、良いストーリーだと思ったので制作しました。出版は、ドキュメンタリー制作の過程で家族史を深く知ったので書きました。これらはJANMでボランティアをしてオーラルヒストリーのことを知ったお陰です。知れば知るほど日系史、アメリカ史、家族史に興味を持つようになって、ますます楽しくなってきました。JANMからは影響を受けてたのでとても感謝しています。

私は医学書専門の写真家だったので、少しだけビデオを使えました。制作費に、1988年にロナルド・レーガン大統領(当時)が署名した「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」で支払われた損害賠償金2万ドルの一部をあてました。父は1981年に亡くなったのでインタビューはできませんでしたが、ドキュメンタリーには、父と同様にアナウンサーだった日系人たちへのインタビューなどを収めました。


— お父様の任務についてお聞かせください。

オノさん制作のオノ家の家族写真がプリントされたTシャツ
戦争が始まると私たち家族は、コロラド州アマチの強制収容所へ送られました。1943年頃、「バイリンガル求む」という求人の話があり、帰米二世だった父は面接を受けて採用されました。当時、アメリカ軍とイギリス軍はコロラド州デンバーにあるラジオステーションをシェアしていました。Joint Anglo-American Program of Radio Propaganda Programといって、戦争を早く終わらせるためのプロパガンダ放送を開始しました。父はジョージ・ドテ、ギッシュ・エンドウ、フランク・ハットリたちと同様にイギリス軍British Political Warfare Missionにアナウンサーとして雇われました。アメリカ軍Office of War Infomationは8人の日系人を雇っていて、女性はチヨ・ワダさん一人でした。

当時、日本政府も「ラジオ・トウキョウ」で連合国軍向けのプロパガンダ放送を行っていました。アメリカ兵に人気があった女性アナウンサーは“東京ローズ”と呼ばれていましたね。


― 放送はどのような内容でしたか。

オノさんの著書。「Letters From Camp」「Japanese American Fortune Cookie」「Journey to Amache and Denver」
米英軍とも内容はほとんど同じで「日本の船が沈没した」などの戦況と空襲情報や音楽でした。異なったのは、イギリス軍は日本兵捕虜の名前や出身地を放送し、アメリカ軍はしなかったことです。ワダさんによると、日本兵が捕虜にされたことを不名誉だと思っているとアメリカ軍は知っていたので彼らの情報を日本へは流さなかったそうです。またアメリカ軍が空襲をする度に出した空襲情報は、広島と長崎への原爆投下の時は情報が知らされなかったので、空襲情報の放送はしなかったとワダさんは証言しています。

私はリサーチを重ねるうちにイギリスの「National Sound Archive」で父の手書き原稿を見つけました。父たちは軍からの原稿を和訳してニュースを録音し、それが日本へと放送されました。


― なぜ、日系人アナウンサーたちのストーリーは、これまで知られなかったのでしょうか。

アナウンサーたちは政府から黙っているように警告を受けたそうで、戦後もほとんどの人が隠していました。あるアナウンサーの奥さんはご主人の任務を全く知らなかったそうですよ。私の家族の場合は知っていたと思います。ある時、叔父から父がイギリスの放送局で働いていたと聞いたことがありましたから。
戦後は日本への強い愛国心を持った一世たちのなかに、米英軍のために広報活動をした日系人を馬鹿にした人もいたそうです。フランク・ハットリさんの甥がシアトルで庭園業の仕事に就こうとしたら、一世の雇い主から「親戚は誰?」と尋ねられて「フランク・ハットリです」と答えたら、首になったそうです。彼らにとったら「フランクさんは、日本へ銃の引き金を引いた人」だったのでしょう。彼らがとりわけ何かしたというわけではありませんが、父たちの任務に感謝の気持ちがないのは確かです。戦中戦後は、いつも誰かが誰かに反対していました。


― ドキュメンタリー制作や記事の執筆から何を学びましたか。

歴史を振り返ると、私たちの両親、祖父母、祖先がしてくれたことへ感謝するようになります。第二次世界大戦中、一世や二世が普通ではありえない挑戦をどうやって乗り切ったのかを知ると驚きです。歴史というものは、感謝とともに残りの人生をより良く生きるための手助けになり、より良い人間になるための手助けともなります。



写真・文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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入館料お支払いの際に「日刊サン掲載の『JANMへ行こう!!』を読んだ」と言うと、『ワシントンへの道 ~米国日系社会の先駆者 ダニエル・イノウエ議員の軌跡 ~』と『知られざる政治家 ラルフ・カーとニッポン人』の2つの日系移民史ドキュメンタリーが入ったDVDを特別プレゼント。昨年末に亡くなった大統領継承順位第3位のイノウエ議員のインタビュー入り。非売品なので貴重なDVD!
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JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

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