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特集記事



JANMへ行こう!! vol.68 - 「子供のために、孫のために」と生きた一世たち


今月のガイド
マイケル・オカムラ さん

日系四世。1989年からJANMのボランティアガイドをしている。現在は、Little Tokyo Historical Society会長も務め、仕事をしながら日系人のふるさとであるリトル東京の歴史や家族史のリサーチに力を注いでいる。




俳人だった祖父



(写真右)母方の祖父母。ヤソジさんとカツコさん(写真左)父方の祖父母。敏行さんと千春さん
私の父方の祖父、岡村敏行は鳥取県の出身で、日系コミュニティでは知られた自由律の俳句を詠む俳人でした。俳号は「瞳子鳥(ぼしちょう)」です。「瞳」は父の名前から、「鳥」は鳥取県から取りました。1924年に親友たちとリトル東京で俳句グループ「アゴスト社」を結成して活動しました。祖父はリトル東京で「東洋植木切花店」を営み、裏庭を日本庭園にして俳句を詠む会を開き、時々、羅府新報や朝日新聞に投稿しました。またアマチュアカメラマンだった祖父は他のアーティストグループ「シャクドウ社」にも所属し、日系写真家で有名な宮武東洋さんも仲間でした。
祖母の死後、祖父の俳句が掲載された雑誌などの行方がわからなかったのですが、ある時、UCLA図書館に保管されている俳人のトガワアキラさんのコレクションに祖父の作品も収められていたことが分かりました。トガワさんは祖父の親友でカリフォルニア州では著名な俳人でした。彼のコレクションには、1932年のロサンゼルスオリンピックに日本選手団が訪米したことを題材にした祖父の俳句も掲載されていました。

最近では、日系四世の詩人、トレイシー・カトウ・キリヤマさんが、あるプログラムの冒頭に私の祖父の俳句「めうととして四十年いつも月に見らてゐる」を読みました。トレイシーさんは、私の祖父が渡米して100周年になる来年に向けて記念イベントを考えているそうです。


戦時中戦後の家族史



第二次世界大戦が始まると、祖父のいとこの立石さんが、「ソーテルに引っ越してきなさい。しばらく一緒に暮らして、一緒にマンザナの収容所へ行きましょう」と言ったので、祖父たち家族はボイルハイツからソーテルへ引っ越しました。立石家はソーテル地域では名士で、ソーテルの柔道クラブやソーテル日本学園などさまざまな組織に関わり、とても活動的でした。祖父のいとこはJapanese American Citizens League (JACL:日系アメリカ人市民同盟)の会長としても活躍しました。1945年に終戦を迎え収容所から解放された岡村家と立石家は共にシカゴへ移り、また始めからやり直しました。祖父はシカゴホテルのマネージャーの職を得て、クリーナー店も営みました。

1994年、日本の天皇陛下(右から二人目)と皇后陛下(右端)がアイリーン・ヒラノJANMCEO(左端)の案内でJANM旧館をご訪問された。両陛下はJANMスタッフやボランティアと歓談され、オカムラさんは「とても寛大で好意を持てる方たちでした。私は日本語と英語の両方で家族のことなどをお話いたしました」と語った
一方、母方の曾祖父と大おじの松本コウシさんは南加福島県人会で活発に活動し、戦後、コウシさんは南加県人会協議会会長も務め、日本政府から勲章を受章しました。戦中は曾祖父家族もマンザナに強制収容されましたが、祖母はすでに結婚していたこともあり、曾祖父たちと別のポストン収容所へ送られました。
戦後、一世の祖父はサンホゼで食料品をロサンゼルスへトラックで運ぶ職を見つけ、祖母はメイドとして働きました。1951年頃になると祖父母はボイルハイツへ引っ越して、祖父はガーデニングの仕事に就き、祖母は裁縫の仕事をしました。


次世代へ引き継ぐこと



家族史を熱心に研究するのは、家族の中で私だけです。私は鳥取、和歌山、福島の親戚たちとも連絡をとり、曾祖父母や祖父毋たちの実家のお墓などを捜索したりしています。今は福島の親戚の協力を得ながら母方の祖父のお墓を日本政府が発券したパスポートを頼りに探しています。
若い世代の人たちが少し時間を使って家族を理解しようとしたなら、自分たちは誰なのか、自分たちはなぜこうなのかを理解できるでしょう。JANMでボランティアをすることはいいと思います。また日本人も、北米、中央アメリカ、南米に移民した同胞たちが困難に直面したことを学ぶことは大切だと思います。
多くの人が、私たちはメルティングポットだと言いますが、私は織り布のようだと考えています。それぞれの民族グループが、アメリカという布を織っています。一つ一つの糸に個性があり、特徴を保っています。

私がJANMで1989年にボランティアを始めて以来、多くの二世のボランティアから話を聞き、リサーチも重ね、私が何を発見したかというと、祖父や日系一世たちは偉大だったということです。日系コミュニティ以外では受け入れられない中で、一世たちはどのように生きてきたのでしょうか?
自分たちの子供や孫たちにはより良い教育を受けさせたい、自分たちは無理だったけれど、子供や孫には望むものになれるようになってほしい、「子供のために」と一世たちは多くの犠牲を払い、困難にも耐えてアメリカで生きてきました。現在の私たちは、一世たちの懸命な働きと我慢によってできた産物なのです。私は本当に感謝しています。
親戚の子供たちには、祖父母たちのこと、どんなに彼らが苦労したかを学びなさいと言います。子供や孫にはより良い人生を歩んでもらいたいという気持ちを次世代へ引き継がなければなりません。


文・構成 Tomomi Kanemaru(日刊サン)


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*入館料をお支払いの上、入館された方のみ対象。




JANM・ジャニム(全米日系人博物館)
Japanese American National Museum
日系アメリカ人の歴史と体験を伝えるアメリカ初の博物館。アメリカの人種と文化の多様性に対する理解と感謝の気持ちを高めることが目的。ボランティア・ガイドに支えられ、訪問者は展示にはない興味深い話を聞くことができる。

100 N. Central Ave. Los Angeles, CA
・213-625-0414
http://www.janm.org
開館:火・水/金・土・日 11:00 ~17:00
木 12:00 ~20:00
休み:月曜
料金(企画展も含む):一般9ドル、シニア&学生&子供5ドル、メンバー無料
*木曜17:00 ~20:00、毎月第3木曜は無料
交通:メトロ電車:ゴールドライン「Little Tokyo / Art District」下車。徒歩1分
駐車場:あり。博物館前、他多数(有料)

★「ボランティア・ガイド」に関心のある方は、下記まで。
213-830-5645

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