龍馬ゆかりの人々
第38回 龍馬 逝く
2010-12-14
全国の龍馬ファンの紅涙を誘う名場面が、遂に来た。何故だ。その怒りと悲しみは、テレビの画面を飛び出して、辺りの空気を押し包んだ。あまりにも小説的で劇的な終末に、おそらく日本中がテレビに張り付いた。
予想された暗殺は、あまりにも早かった。龍馬は自分の終焉を計る時計の針を早く回しすぎた。それは突然に現れ、疾風のごとく消え去った。誰が斬ったか、その背後は誰か、多くの歴史家が懸命に追跡しても、その網目を潜りぬけ、未だに確証を得ることができない。
刀の峰を渡り歩いてきた龍馬にとって、不覚の一夜であった。中岡慎太郎という同志と共に、同じ屋根の下で命を絶ったという事がせめてもの慰めではあるが、惜しむらくは、慎太郎の最後の言葉として、どこの藩か、見覚えのある侍か、聞きとれなかったと思うのは私だけではないだろう。
我が連載、『龍馬 海を超える』、『龍馬ゆかりの人々』も、書き始めて早や三年になんなんとする。隔週おきとはいえ大変だった。随時であれば、連載でも気が楽である。時には編集者から、「どうしましたか」、「もう一日待ちましょう」と優しく言われ、間に合った事もあった。
『龍馬伝』の龍馬さまとお別れの時が来た。
君がため 捨つる命は惜しまねど 心にかかる国の行く末
日本を今一度せんたくいたし申し候事にいたすべくとの神願にて候
坂本龍馬
土佐勤王党の武市瑞山は、
花は清香によって愛せられ、人は仁義をもって栄える
囚われの身がどうして恥ずかしいことがあろうか
私はだだ真心を貫くだけだ
そうして切腹させられた。
こうして多くの志士たちが逝った。そして、新しい日本になったが、今一度洗濯いたしたき今日この頃の日本ではある。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。