後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第265回 天才と秀才、凡才の違い
2014-03-11
世上、織田信長は天才、豊臣秀吉は秀才、徳川家康は鬼才といわれています。天才と秀才の違いはなんなのでしょう。
天才は一を聞かずとも十を知る。特定分野の能力は超人的なのに、それを除けば凡人以下。
秀才は一を聞いて十を知る。形式に滅法強く創意を欠くが、ペーパーテストは大の得意。
だから実務と効率が問われる役所・会社勤めは秀才向きだが、天才には向きません。
一を聞いて一を知るのが凡才で、一を聞いて一を知らないのが馬鹿、のろまのたぐい。
一を聞いて二、三を知れば屁理屈をこね、一を聞いて四、五、六を知れば秀才気取りの嫌な奴。
ナポレオン言行録は次のように記しています。
「天才は形式におめおめ押しつぶされはしない。形式は凡人のために作られたものだ。凡人が規則の枠内でしか動けないのはそれでよい。有能の士はいかなる足かせをはめられても飛躍する」
「作戦計画を立てることは誰にもできる。しかし戦争のできる人は極めて少ない。才気と同時に性格を持っていなくてはならない」
「才気は非常にあるが性格はほとんどない人は軍人(指導者)に向いていない。才気はほとんどなくても性格はあったほうがよい。才気はあまりなくてもそれに釣り合った性格を持つ人は成功することが多い」
ナポレオンのいう性格とは意志力、決断力のことです。
彼の尺度で旧日本軍をみると悲惨です。幹部の作戦会議は形式と兵法そのもの。才気はあっても性格、創意を欠くから戦争にならない、配下の兵を死なせるばかり。
アインシュタインは時間、質量、速度の関係を相対性理論で解明し大天才と仰がれています。
しかし天才の習性でテストに滅法弱く、大学受験にも失敗します。
ある日、ふと外出した彼が自宅の妻に電話をかけてきます。
「ぼくがどこに行こうとしているか、教えてくれないか・・」
春の訪れとともに天才の誕生日(三月十四日)が近づいています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。