キム・ホンソンの三味一体
vol.9 マザーズデイ
2012-06-04
子育てをするようになって、自分の母親にもっと感謝しなければと思うようになりました。自分たちが娘にしていることを「僕もこうやって母親にしてもらっていたんだなあ」と思うのです。
今も覚えていることもあります。5歳くらいの時でしょうか。ターザンごっこでロープをドアにかけようとして指を挟んでしまいました。大量の出血で大泣きをしていると母が駆け寄ってきました。「なぜそんな危ないことをしたのか」と怒られて余計に泣きました。今思うと、怪我をさせたことがかわいそうで、また悔しくてならなかったのだと思います。
母は一心不乱に私の指をタオルで縛り、私を背負って外に出てタクシーをつかまえました。救急車を呼ぶほどではないと判断してタクシーにしたと思うのですが、ちょうど夕方のラッシュアワーと重なって、車がなかなか進みませんでした。私の出血は止まらず、タオルに血が染みてきました。タクシーを降りると、母は私を背負ったまま走り出しました。私はというと、出血と泣きつかれで眠ってしまいました。
目が覚めた時はすでに病院のERの受付で、母が「あとどれくらい待てばいいのか」と聞いていました。それから私はまた眠ってしまい、次に目が覚めたのは違う病院へと再び走っている母の背中の上でした。母の背中はとても温かったです。次のERで指を消毒してもらったりレントゲンを撮ったりしてもらう間、付き添っていた母親の心配そうな疲れた顔を今もはっきりと覚えています。
母の日が来ると、私はいつもこの日のことを思い出します。母の愛というのはなんと献身的なものだろうと思います。しかし、“世界の母”とも呼ばれるマザーテレサやナイチンゲール女史が、実際は子どもを産んだことがない事実を考えると、この母性という賜物は、決して子どもを産んで育てたことがある人だけではなく、すべての女性に与えられた特権のような気がします。
夫婦共働きの我が家の場合、子育ても二人で均等にやっているつもりでいても、母親にはどうしても代われないなと思うときがたくさんあります。それは自分の努力ではなく、「母性」という特別な賜物でないと答えられない子どものニーズがあるからではないかと思います。
昨日、保育園から帰ってきた娘の腕や服の裾にいつもより大量の絵の具が付いていました。後ろの方では、家内が、Happy Mather’s Dayと書かれたカードを手に取って微笑んでいました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。