キム・ホンソンの三味一体
vol.15 私のサンクスギビング
2012-11-30
先週はサンクスギビングでした。サンクスギビング(収穫感謝際)はイギリスからアメリカ大陸に渡ったピューリタン(清教徒)たちが一年の収穫を神に感謝する日として始まったようです。その影響もあってかアメリカではキリスト教の信者でなくてもこの日に「感謝すべきこと」を思い起こす人も多くいるような気がします。
韓国のクリスチャンの家庭に生まれた私は、幼い頃、毎年サンクスギビングのディナーの時に何か一つ感謝することを言わないといけないルールがあって、嫌で仕方なかった思い出があります。ある時は、何も他に思いつかず「何ももらえない感謝祭の後にクリスマスとお正月(お年玉)があることに感謝です」と言って父親に大変叱られたことをいまだに覚えています。その後、宣教師として派遣された父と母に連れられて日本に行った後も、私が成人するまでこの「感謝祭の習慣」は続きました。
大学を卒業した翌年のことです。いよいよ徴兵のため日本から韓国に戻りました。中学校の頃からの友人たちが、再会して間もない私のために(入隊することに対する)送別会を開いてくれました。来てくれていた皆はすでに除隊していました。皆の軍隊の経験談を聞くにつれドンドン入隊することが恐ろしくなってくるばかりで、何かポジティブなことも言ってほしいと言うとしばらく間をおいてから、一人の友人が言いました。「入隊のタイミングとしては今がちょうどいい、夏だろう?冬に入隊して二等兵をやってみろ、それこそ凍え死んでもおかしくないぞ」私以外全員がうなずきました。
(幸運にも)夏に入隊し苦しかった基礎訓練をどうにか終え、今度は俗に“人間以下”呼ばわりされていた最低階級の「二等兵」として、不安で戦々恐々としていたその秋、軍属教会に行くことが許され、初めて出席したのが収穫感謝際の礼拝でした。礼拝後、牧師先生が誘ってくださって教会の皆さんが用意してくださった感謝祭ディナーのテーブルについた私は、自ら手を挙げて感謝すべき数々のことを述べました。試練の中にあってこそ本当の感謝を見いだすことができること、自分が生きることを赦され生かされていること、息子が与えられたことを神に感謝し続けてくれている両親への感謝などでした。今までで最も貧しく質素なこの感謝祭が、私にとっては最も感謝に溢れた感謝際として今も心に刻まれています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。