キム・ホンソンの三味一体
vol.17 過去に学ぶ
2013-01-29
このところ、アメリカでの銃規制についてよくメディアでとりあげられています。銃規制の実施は、アメリカの歴史や文化に基づく価値観からすると、そうは簡単にいかないだろうという論調が目立ちます。
私が20代の頃、韓国の軍隊に徴兵された時の経験ですが、私のような底辺の義務兵にとって銃は厄介なお荷物にしか過ぎませんでした。まず私たちが使っていたのはM16というアメリカ製の半自動式ライフル銃で、これがけっこう重いのです。特に実践訓練の時は銃を持ったまま這ったり登ったり潜ったりするので非常に邪魔でした。そして抜き打ち検査で銃の不具合が見つかると大変なので、休日でも銃を分解してせっせと手入れをしました。また実弾での射撃訓練の時は、撃った実弾の数と同じ数の弾皮を提出しないと大問題になるので、一つでも数が足りないと弾皮を探して射撃場を這いずり回ったものでした。何よりも心が痛む思い出は、除隊するまでの3年間、私と同じ部隊にいた義務兵の若者が銃で自殺をしたという噂を何度も聞いたことです。
以前、ある高齢者向けアパートで銃の乱射事件がありました。居住者を含む数人が犠牲になりました。事件後一ヶ月ほどして、そのアパートの管理会社の要請で、市の警察官による安全のための説明会が持たれました。私も通訳として参加しました。説明会は「過去の起こった事件についてではなく、これからの皆さんの安全についての説明」というコンセプトで、過去の事件には一切に触れずに、一般的な防犯対策の説明に終始しました。すると最後にある高齢者の一人が発言をされました。「これからの安全対策に関して教えていただき感謝したい、しかし過去に起こったあの忌々しい事件が二度と繰り返されないためにも、あの事件について語り、学ぶべきではないだろうか」。結局、警察の方からも管理会社からも事件については何一つ語られませんでしたが、この発言は参加者全員の心に届いただろうと思いました。
過去のつらい経験と向き合ってそこから学ぶことなしに、その経験を克服することはできないのだと思います。そういえば今月で2歳と6ヶ月になった私の娘が、食事の後の歯磨きを嫌がって逃げ回っている時など「また痛いいたいになるよ。じゃまた病院に行く?」というと、私の所に戻って来て膝の上に寝転んで、「パパのばん」と言って小さな口を開けるのです。彼女もまた過去に学んでいるのでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。