苦楽歳時記
Vol.34 アナウンサーの間違い
2013-05-28
合格発表は早春の風物詩である。ひところ、毎年その時節を迎えると「掲示板の前では、一喜一憂する受験生の姿が見られました」と、各局のアナウンサーはその模様を伝えていた。
そもそも「一喜一憂」、「悲喜こもごも」とは、情況の変化につれて、一人の人間の心境を表すものであり、群集のそれぞれの「喜」や「憂」を表現するものではない。
例えば、「A君は受験に合格したが、祖父の訃報の知らせに一喜一憂(悲喜こもごも)の一日であった」というように用いるのが正しい。
このように言葉が間違えられて用いられていると、やがてその用語が正しくなってしまう場合がある。スポーツの実況担当のアナウンサーが、「この試合は〇〇選手の独壇場(どくだんじょう)です」と解説することがある。
正しくは独擅場(どくせんじょう)と述べるべきである。これは、独擅場の「擅」(せん)を「壇」(だん)と思い違いしたためである。現在は定かではないが、誤って語った「独壇場」の方を、各放送局が採用している。
「この山は女人禁制(にょにんきんせい)です」と説明しているテレビのアナウンサーがいた。男子の場合は男子禁制(だんしきんせい)と読むが、女人とくれば禁制(きんぜい)と読むのが正解。
奥の院にある伽藍の中が映し出されると、「ここで礼拝(れいはい)をします」と、アナウンサーは説明をした。
礼拝(れいはい)と読むのは、キリスト教のことであり、仏教では礼拝(らいはい)を用いている。従って仏教では、「朝(あした)に礼拝(らいはい)夕(ゆうべ)に感謝」と読むのが正しい。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。