苦楽歳時記
vol.38 歌人西行
2013-05-28
花あれば西行の日とおもふべし(角川源義)
王朝時代の末期(一一四〇年頃)に、皇族の警護をする武士であった佐藤義清(西行)は、二十三歳の時に出家して仏教と和歌の道に精進した。花鳥風月に魅せられて全国を行脚した西行は、流浪の民となって叙情的歌風を極めていく。
うかれ出づる
心は身にも
かなはねば
いかなりとても
いかにかはせむ
著名な独文学者でもある作家の中野孝次さんは、これは西行が自問自答しているような、屈折した、ごつごつした感じの歌であると解説している。
「うかれ出づる」は、西行の愛用した語で、花、川、旅に魅せられて、そちらへと心が抜け出ることを大意しているらしい。
中野孝次さんは西行を称して、生きていることがすなわち歌になった人であり、自分の心に向かって、われとは何かを問い続けた人であるという。
「西行を小説の主人公にする勇気はない」。と述べたのは井上靖さんである。出家する動機がつかめないからだ。
西行には不明な部分が多いので、憶測を交えながら和歌に親しんでいると、新古今の「幽玄」美を超越した、悠久の西行の心とだけ対峙することができる。
桜前線が河内の里(大阪府・西行入滅の地)に差しかかる時節、『山家集』を小脇に挟んで、来年こそ千本桜で名高い吉野山へ足を延ばしてみたい。
頂きの奥の千本には、吉野山の桜を愛した西行法師が、四年間にわたって住んだわびの旧跡(西行庵)がある。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。