苦楽歳時記
Vol.40 花盛り
2013-05-28
いよいよ芳春の足音がこだまする季節を迎えた。早朝に野鳥のさえずりを聞きながら、青天を仰いでみると、ふと、爛漫うららかな植物園へ足を向けてみたくなった。
日頃、植物にはあまり感心を寄せない僕だが、このような心境に陥ったのも、長い闘病生活をするようになったことと、係わりがあるように思えてならない。
午餐後、妙にすがすがしい思いにかられて、自然と体躯(からだ)が動き出したので、近くの公園まで歩いてみることにした。道すがら千草や花壇の花を愛でて歩いていると、街路樹から降り注ぐ木漏れ日が、莞爾として微笑んでいるような気持に導かれた。このような思いが芽生えてくるのも、きっと陽気のせいなのかもしれない。
一茎の野の花に、天国を垣間見たのは詩人のブレークだ。可憐な花々が交わしている言葉は、白昼は真理を、夜間は愛を語っているとハイネは述べている。
暖かな陽光に照らされると、人々の心は躍りだして公園へと誘われるのであろう。芝生の上では、人々が語り合いながら微笑んでいる。そのものやわらかな笑顔は、じつに平和で美しい。花の季節は、正に喜びのみなもとなのである。
ヘレンケラーが来日の際に、宿舎となったホテルの庭で、満開になった桜の枝をかざすようにして、「これが日本人の心なのですね」と語って破顔一笑させた。ヘレンケラーは淡紅色の桜を心の目で捉えながら、日本人の魂の美しさを連想していたに違いない。
陋居(ろうきょ)に戻ってから郵便受けをのぞくと、日本の甥から手紙が届いていた。早速開封してみると、結婚を知らせる案内状が同封されていた。表紙は山吹の花をイメージさせたデザインとなっていたので、つと芭蕉の句が口からこぼれた。「ほろほろと山吹ちるか滝の音」。
芳しいブライダルの知らせに、つい顔がほころんでしまった。いよいよ花盛りの時節到来である。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。