苦楽歳時記
Vol50幸福(しあわせ)な気持ち
2013-06-21
『苦楽歳時記』を連載し始めてから、一年が経とうとしている。そのあいだに、ありとあらゆる検査と治療を行った。トライアル・スタディの抗癌剤を服用し始めた。また、沖縄の義姉から送ってもらったフコイダンを飲み始めた。
遅々として良くならないストロークの後遺症である言語障害と右半身麻痺。余命、四ヶ月の末期癌と医師から告げられて、もう、五年近くも生きながらえている。
そんな吾が身だが闘病生活に慣れてくると、また、書くことも楽しいのである。悟りとか達観に縁が無い僕であるが、何となく分かってくるのであろう。これも神様の憐れみであろうか。
正岡子規は脊椎カリエスを発症してから、床に臥す日々が続いていた。やがて臀部(でんぶ)や背中に穴があき、膿が流れ出るようになった。子規は『病牀六尺』に、「これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである」と綴られている。
僕はわずかでも歩けるではないか、左手を使い食事することもできる。子規先生と比べれば、広い世界を体感することができる。僕はふと、聖書の一節を思い起こした。「試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。
このコラムが新聞に載るころには、僕の五十八回目の誕生日を迎える。子供のころから甘いものが苦手で、にぎり鮨でバースデーをお祝いしたものだ。今年の誕生日も、家族で回転鮨に赴くであろう。
大病を患ってから、家人一人の収入に頼るしかないので、家計がことのほか苦しい。今年で十二歳の娘にも、まだまだ養育費がかかる。
家人は、星をいただくようにして毎日十四時間も働いている。そんな状況にあるにもかかわらず、娘も家人も愚痴一つこぼさない。二人とも笑顔が絶えない日々を送っている。
そんな二人を見つめていると、にわかに幸福(しあわせ)な気持ちに導かれて、心に平安をもたらしてくれるのである。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。