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コラム

苦楽歳時記
Vol.52 『太平』と治療の成果

2013-07-05

モントレーパークにある『太平』レストランのオーナー、中村龍一さんとは三十年来の年長の友である。

 僕が倒れて緊急入院した折も午前一時過ぎに、ご夫妻でICUまで駆けつけてくださった。そのとき、僕の意識はあったものの植物人間に近い状態であった。

 二ヶ月半に及ぶ入院生活も、特上のにぎり鮨を作って度々届けてくださった。口が悪いが心の優しい龍さん。人情味にあふれる龍さんに、いつでも感謝している次第である。

 後に、龍さんの娘さんの伝で、いち早く最善の治療が出来たことが、僕の悪疾を回復させてくれた要因となった。

『太平』では「ちらし鮨」のことを「ちらかし」と呼んでいる。その「ちらかし」は『太平』の名物で、顧客の舌根をうならし続けている。

 僕が通院していた、癌治療専門の病院シティーオブホープから、『太平』まで車で約二〇分。
治療が終わった後で折に触れて、『太平』に寄り道をして「ちらかし」を食べる。

ところが、ハーバーUCLA病院内にある『L.A.Biomed.』に、一年半ほど前から治療の拠点が移った。

僕の癌は甲状腺に端を発し、脳、左首筋リンパ、肺、骨にまで転移。脳と左首筋リンパは手術済み。半年前から四年余り続いていた血痰が止まった。骨の腫瘍はかなり小さくなっている。治療の成果が顕著に表れている証拠だ。

 問題はストロークの後遺症である。遅々として良くならない言語障害と右半身麻痺。気長にスピーチ・セラピーとフィジカル・セラピーを続けるしか方法がない。

 二〇〇八年、カイザー(病院)に入院している際に、女性のスピーチ・セラピストの表情がやけに堅い。ニコリともしない。僕はセラピストを笑わせてやろうと思った。「イン」と「アウト」の発音の訓練をしていたときに、僕は「イン&アウト・ハンバーガー」と発した。

 セラピストは空咳を一つして、莞爾(かんじ)として微笑んだ。


 


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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新井雅之

文芸誌、新聞、同人雑誌などに、詩、エッセイ、文芸評論、書評を寄稿。末期癌、ストロークの後遺症で闘病生活。総合芸術誌『ARTISTIC』元編集長。




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