苦楽歳時記
Vol 57 駄洒落
2013-08-09
学生時代の僕は、漫才の台本を手掛けていたことがある。フリーの漫才師、昭和爆弾・太郎、次郎さんの台本だ。
往時、横山やすしさんとは舞台の合間を縫って、昼間から立ち飲み屋へ赴いたものである。やすしさんの干支は猿、きよしさんは犬だ。相方の西川きよしさんとは犬猿の仲であった。いつも喧嘩腰のやっさんは喧嘩をすれば、きー坊(きよし)の方が必ず勝った。
ロサンゼルスに横山やすしさんが訪ねて来られた折りも、リトル東京の鮨屋で酒を酌み交わした。そのときの話よると、かつての相方がリトル東京で小料理屋を営んでいて、クルーザーを購入する代金を借りに行く途中であると語っていた。
酒の力を借りて弾みをつけなければ、お金の無心には行きづらいということであろうか。存外、やっさんは気弱なところがあるのだ。
昔お笑いの世界に携わっていた関係で、僕の日常は駄洒落に満ちている。
今日の夕食はカレーライス。娘がラッキョウばかり食べているので、家人が娘をたしなめた。娘は僕に聞き質した。「お父さん、何粒まで食べていいの」。僕はしばし考えてから七粒と答えた。「なぜ」と娘。僕は「ラッキョウ・セブン」と答えた。
二〇一〇年の大晦日、家族三人で『デニーズ』に足を向けた。席に座ってしばらくしてから、僕は血を吐いた。直ちに最寄りの病院へ急行した。車の中で家人が血の色を訊ねた。「褐色、それとも鮮血」。こんな折に、なぜ血に色こだわるのかと思ったが、家人の日本での職業は看護師である。
僕は答えた「そんなことよりも、病院へ向かうのが先決(鮮血)だろう」。生死にかかわる事態にも、駄洒落が飛び出してくる。
ティファナでアメリカ側に入国をする際、「お前はシチズンか?」と問われた。すかさず、「僕の腕時計はセイコーです」。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。