現代社会ド突き通信
Vol 19 ヒロシマ50年目のアメリカの変化
2013-08-09
この原稿は1995年のヒロシマ50年目のときに書いたもので、拙著「なんや、これ?アメリカと日本」に掲載されている。あの時のアメリカ・メデイアの態度になにか核をやめようという希望があったように思ったのだが、今はもっと悪くなっている。あの時のこのロサンゼルスのアメリカの雰囲気を読者にお知らせしたいと思ったので、この稿で取り上げてもらった。
一九九五年の7月初めからのアメリカに於ける、原爆投下50周年記念の報道態度は過去と顕著に違っていた。
「テレビの野球は野茂、フットボールは東京ドーム、ニューズは総て広島、どこを観ても日本ばかりで僕は日本人になったような気がする。毎日原爆と空襲の燃える映像ばかり観ていると、こちらまで空襲を受けた感じになった」と米国人の夫が言うほどニューズ・ウイークやニューヨーカーは3分の一を割き、ネイション、ニューヨーク・タイムズ、ロス・アンジェルス・タイムズ等私が目を通したのだけでも広島のことを大量に書き立て、テレビも全国向けやケーブル・TVまでもが2時間3時間のプログラムを放映し続けた。去年の12月7日の真珠湾攻撃50周年記念日とは比確にならない位の一大現象に見えた。
それ迄、原爆のことを詳しく論じたのは、ニューヨーカー誌に一回と小さい学術誌に日本歴史学者が書いた位、又教育テレビでl980年に原爆製造からその監督であったオッペンハイマー博士がスパイ容疑を掛けられ(トリニテイで最初に原爆実験した後、原爆を使うのは止めるべきであったと言って水爆を造るのに反対している。水爆製造に賛成のテラー博士にスパイだと言われた)追放されるまでの経緯をレポートしたのと他に一、二ある程度で、今年は50周年記念とはいえ商業ベースの企画は前代未聞である。
この変化は何故起こったのだろうか?
35年間アメリカに住んでいて思い付くことは、先ず当事者である戦中派の人口が減った。65年の小数民族優遇措置の施行(小数民族の人権が認められ始めた)、60年代末のヒッピーの開放さ、学生ベトナム反戦運動、フェミニズム等の影響。
こういう人々の目が、マッカーシズムの極端な反共、冷戦から起こった核兵器製造競争に批判的になった。また3マイル島やチェリノビレの原子力発電所の放射能漏れの恐怖。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。