苦楽歳時記
Vol.59 リトル東京の思い出
2013-08-22
僕のオフィスがリトル東京にあった時分、ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ内の、セカンド・ストリートに面した鮨店、『小政』に度々訪れた。
オーナーシェフのミノルさんも女将さんも、実直で寡黙なおしどり夫婦。そんな人柄に惚れて、仕事が終わると足繁く通ったものである。
特製の「わがままちらし鮨」を帰り際に家人へテイクアウト。ウニと甘エビがどっさりと入っていた「ちらし鮨」が懐かしい。
リトル東京も随分と様変わりしたものだ。周辺にはコンドミニアムが建ち並び、アメリカ人の数も大幅に増えた。かつて馴染みしていた焼鳥屋でも、多人種の客で賑わいを見せている。
一九八〇年頃からリトル東京のホンダプラザに、鮨と割烹の店『桑清』があった。本格的な和食を食べさせてくれるレストランが、まだ少なかった時代だ。往時、貧乏学生であった僕は、高級そうなレストランには入れなかった。
時は流れて、『桑清』のランチに「ひょうたん弁当」なるものがあると小耳にはさんだ。廉価で佳味と噂を聞いて、直ぐに味わいに赴いたことを今でも覚えている。
未だに『小政』のミノルさんと、『桑清』の桑原さんの夢は時々見る。リトル東京には思い出がたくさん詰まっているのだ。
鮨店『大政』のヒデさんが以前勤めていた、ファースト・ストリートの『みつる寿司』の名物「鯖棒」。「美味かったなぁ~」、今でも間々にテイクアウトして味わっている。かれこれ二十年以上も会っていないヒデさんとも、いつかお会いしたい。
ホンダプラザにあった、今は無き『サン・ビデオ』のケンさん。まだ若いのに鬼籍に入ったと、二年ほど前に風の便り。ケンさんは親切で優しい人だった。ご冥福をお祈りしたい。
二〇〇五年に建立した加川文一の詩碑『海は光れり』は、セカンドとセントラルのコーナーにある。建立したのは、ついこないだのような気がしてならない。今日も日系文学の金字塔が、リトル東京の中心で夕映えに影を落として佇んでいる。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。