苦楽歳時記
Vol.60 二百十日
2013-08-29
「野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞く夜かな」。ここでいう野分とは、二百十日前後に吹く強風のことである。野の草を分けて強い風が吹き荒れるさまから、俳聖芭蕉は今でいう台風のことを野分と描出した。
二百十日は、立春から数えて二百十日目にあたる。今年の二百十日は九月一日。江戸時代初期から、暴風雨の襲来を警戒する厄日として恐れられている。
大正十二年(一九二三)九月一日、雑節の一つである二百十日に、関東大震災が発生して甚大な被害をもたらした。
明治二九年(一八九六)、英語教師として熊本に赴任した夏目漱石は、四年三ヶ月の熊本滞在期間中に、夫となり、父親となり、凡そ一千句の俳句を詠み、後に熊本を舞台にした小説『草枕』、『二百十日』を発表した。
小説『二百十日』は、豆腐屋の圭さんと碌さんの軽妙な会話形式で綴られていく珍道中。ここで漱石は諧謔の精神に基づいて、華族や金持ちを痛烈に批判している。
デンマークの詩人ゲルステッドは「いま、風は落ち、雨は黙す。九月の明るさが野の上にある」と謳い。ベルギーの詩人ウーステイネは「秋に雨が降るのは哀しい。秋に長雨が降るのは哀しい」と嘆いた。リルケとヒュームは秋の夜空に瞬く星を心から賛美している。
日本では古くから月を愛でた。陰暦八月十五日は中秋の名月。一年中でこの月が最も澄んでいて美しい。現在では、秋の半ばのことを中秋という。また、陰暦九月十三日、「後の月」の夜を「良夜」といった。
『徒然草』二百三十九段に「八月十五日、九月十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿(しゅく)、清明なる故に、月を弄(もてあそ)ぶに良夜とす」とある。古来、「良夜」は多くの詩歌の中で謳われていた。
二百十日が近づく、ロサンゼルスの夜空を仰いで想う。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。