キム・ホンソンの三味一体
Vol32 泣くは子供の仕事、心配するは親の仕事。
2014-04-25
双子達が生まれてやっと1ヶ月が過ぎました。実際には2ヶ月以上経ったかのように思えるのは、やはり二人同時進行という実情が招いた錯覚でしょうか。
今回よく分かったのは、前回の経験によって慣れて簡単にこなせることと、いつまでたっても慣れないことがあるということです。経験によってよく出来るようになったことは、まず赤ちゃんの泣き声で、それが空腹からか、それともオムツを換えて欲しいからかが大体分かるようになりました。他にもミルクの温め方と哺乳瓶での授乳の仕方でしょうか。最近では、タオル等を赤ちゃんの頬の辺りにくるめて哺乳瓶を支えての自動授乳法などの技術も編み出されつつあります。(笑)
しかし、いつまで経っても慣れないこと、分からないこともあります。例えば、理由もなくよく泣いたり、食欲があまりなかったり、またミルクをちょくちょく吐いたりすることが果たして病気のせいなのか、それとも一般的なことなのかがよく分からないのです。確かに前回も同じようなことを胃に穴があくぐらい心配した結果、何でもなかったという経験をしているのですが、親と言う性でしょうか、それでもまた心配になってしまうのです。
一人目から今回までの間、親としてやってきたことを分類してみると、実際に子供に何かしてあげられたことは多めに見積もっても20%で、残りの80%はただ子供のことを心配して思い煩っただけに過ぎないような気がします。なんて無力なのでしょう。こんな自分達の無力さにも関わらず子供がすくすく育っていることを思う度に、やはり自分達を超える大きな存在(私達の場合は神)によって子供が育てられているとしか思えない幸運な(?)現実があります。
先日、またも何をしても泣き止まない双子君達によって心配になって精神的にかなりのダメージを受けていた時のことです。二人のハモリ泣きにもかかわらず普通にテレビを観ていた現在3歳と9ヶ月になる娘が突然振り向いて、「パパだいじょうぶ。ママがいなくてさびしいだけよ。」と言いました。まだ双子達には私と家内を識別できるほど賢い訳がないと思っていたのですが、ちょうど外出から帰って来た家内が抱っこすると途端に泣き止んですやすや眠り始めたのではありませんか。 また少し違う(精神的な)ダメージを受けたのでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。