キム・ホンソンの三味一体
Vol34 父の日に思う
2014-06-26
「母の日」に続き、今年も「父の日」がやってきました。どちらの記念日も、親を敬う儒教思想のあるアジア文化圏ではなく、アメリカの教会からそれぞれ始まったということが非常に興味深いところです。「母の日」の場合は、ウェストバージニア州のある教会学校の教師だった亡きジャービス夫人の生前のその献身的な奉仕を讃えて1914年に公式に制定されました。そして「父の日」はワシントン州のソノラ・ドットという女性が男手一つで自分を含む6人の子供達を育ててくれた亡き父に感謝して教会で記念式を持ったことから始まって1966年に公式に制定されたようです。
どちらも素晴らしい記念日ですが、(あくまで私の個人的な感想としては)「父の日」というのは、その歴史的な事実としてあくまで母の日に倣って制定されたこと、すなわちすでに「母の日」があったので「では父の日も」という流れで制定された感じが否めないところがあります。自分の父親を含めて素晴らしい父親像というものを知らない私の偏った成育過程のせいか、私はどうしても「母の日」だけで十分に思えてならないところがあります。他のパパの皆さんに怒られてしまうかもしれませんが、せっかく人間が持ち得る愛の中でもっとも優れた母の愛を記念する「母の日」があってそれで完結するはずだったのに、そこに「父の日」を並べられるとどうしても「母の日」が色あせると感じてしまいます。また、そのうち「叔父の日」「叔母の日」なども出てくるのではないだろうかと思ったりもします。(叔父も叔母も大好きですが…。)そこで我が家では「父の日」は、毎年ただの6月の第三日曜日の領域を出ることはありません。
ところが「父の日」2日前の金曜日に、プリスクールから帰って来た現在3歳と11ヶ月になる娘が、私を見るや否や「ハッピーファーザーズデイ ダディー」と叫んで何やら学校で作った大きなカードらしきものを手渡してくれました。そのカードには私の似顔絵が描かれてあって、そのそばには「わたしのダディーはクルマにはいるのが(運転するのが)すきです。わたしのダディーはいつもわたしをヘルプしてくれます。わたしのダディーはつよくてやさしくてわたしのスーパーヒーローです」と書かれていました。いざ祝ってもらうと、やはり嬉しいものです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。