後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第291回 寿司とメロンとこだわりと
2014-09-10
米国に出張中のNさんがサンタモニカで寿司を食べたそうです。
神田周辺で月に数回高い寿司を食べるという出版社の幹部です。
『おいしかったが、銀座の有名店並みの、結構な値段だった』。チラと意外な表情でした。
結構な値段と言えばこの四月、安倍首相がオバマ大統領を伴った寿司店『すきやばし次郎』の名前がよく知られています。二十分座って四百㌦の支払いになるそうです。
『四百㌦?』と驚いてはいけません。
昨年一月、東京築地の初セリで、二百二十三㌔の黒まぐろが史上最高値一億五五四○万円で競り落とされ、世間をアッといわせました。
落札したのは築地の寿司チェーン『すしざんまい』。
握り一貫の原価が約三万円になるところを百二十八円からの通常価格で馴染みに提供、マスコミも営業パフォーマンスと知りながら面白がって取り上げました。
厳しい修行を経た寿司職人にとって、握って出すだけの寿司は寿司ではありません。
客に寿司を添える心頭滅却のプロセスにこだわり続けています。
客との一期一会、食の呼吸、鮮魚の選び方、包丁の入れ具合、寿司の握り具合、飯・酢の加減、飯の映え・・。
事は寿司作法だけに留まりません。日本の工業製品の数々もこだわり心の成果と結晶です。
こだわりを形に高めた日本製。しかし表に裏があるようにこだわりにもツケがついてきます。
市場に出るまでに試行錯誤の時間を食うからで、時間の値段は資本主義の商法で、消費者に転嫁されます。
高い日本商品は高値の花で、安い中・韓製品に食われてしまいます。
さらに驚愕の便り。この五月、夕張メロンふた玉についた札幌中央卸売市場の落札価格が何と二百五十万円。
至高の美味に進化したものの同時に外国では決して売れない価格となりました。
際限ないこだわり。
世界の飢餓人口十億という現実と美食追求のこの乖離。平和すぎる日本の今に戸惑うのは筆者ばかりでしょうか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。