後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第308回 同根のキリスト教、イスラム教
2015-01-14
花のパリが二百万のデモで埋まった。フランス全土で参加した群集は三百七十万人に上る。
フランス史上最大規模のデモだという。
イスラム過激派による仏週刊誌「シャルリ・エブド」襲撃で編集者ら十七人が射殺された。
誌上の風刺画に「イスラムをバカにしている」と怒った末のテロだ。
フランスが大切にしている「表現の自由」。仏革命で勝ち取ったこの権利、奪われ黙っていられるものか。
オランド仏大統領の呼びかけでドイツのメルケル首相、イスラエルのメタニヤフ首相ら五十カ国以上の首脳がデモに参加した。
デモ行進には国家団結の狙いがある。
フランスでイスラム教徒は人口の一割、六百万人いる。大多数の教徒は善良な市民。だが誰言うとなく、キリスト教徒とイスラム教徒の対決という宿命の構図になる。
昨年三月末、LA稲門会の六○周年記念講演会で、早稲田大学創設者、大隈重信候の生い立ち、功績などを披露した。
大隈が三一歳のときだった。浦上信徒弾圧事件で英国公使パークスの抗議に手をやいていた明治政府は「英語を話しキリスト教の知識もあるアイツに交渉させてみよう」と決めた。
アイツとはのちの大隈候のことだ。「小役人とは話はできん」とパークスは激怒した。
「何を抜かす。一国の代表者と話したくないなら抗議は全面撤回だ。国際法で禁止されている内政干渉に当たる」。
侮っていた小国の小役人の口から国際法だの内政干渉だのと専門用語が出てきたことにパークスは仰天したという。
大隈は続けて言った。「キリスト教史は戦乱の歴史だ。キリスト教は地に平和を送りしものにあらず。剣を送りしものなり」と。
当時の日本でいきなりキリスト教を開放すれば混乱に陥ると大隈はパークスを説得した。
会談の高評価が大隈を中央政界に押し出すきっかけになったという。
対決、戦乱に走る同根のキリスト教、イスラム教の本質を当時の大隈は見抜いていたらしい。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。