後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第314回 微笑みよ、何と気高い表情よ
2015-02-26
日本人の表情は曖昧だから誤解される。
とりわけ私たちの微笑みぐらい欧米人に理解し難いものはない。
「それは認めるが、日本人ほど気高い笑みをもつ民族はいない」とラフカデオ・ハーンは言う。
彼の「日本人の微笑」には次のように書いてある。
日本人家政婦が雇い主の英国夫人に「夫が亡くなったので、一日お暇を」と微笑んで申し出る。
その晩骨壷をもって戻ってきて「これが私の夫です」と笑って言う。
身内に不幸があったりすると日本人はなぜか微笑む。伝える内容が深刻であればあるほどその度合いは強くなる。
親しい人に死なれて笑うとは・・。英国夫人だけではない、欧米人なら必ずぎょっとする。
「しかしそれは誤解。相手に不快感を与えまいとする健気な努力の表れ。自己犠牲の笑い」とハーンは絶賛する。
通信社の現役LA時代のある日、米銀行幹部Hに誘われ彼の自宅に立ち寄ったことがある。
プールパラソルの下で話していると、小学生の娘が帰宅、あとに夫人が続いた。夫人が学校で娘をピックアップ、自宅に戻ったところだ。
すぐ外に出て行こうとする娘の背中に「ナンシー、練習を先にしてね」と夫人が言う。
「宿題ですか」と訊くと「娘の部屋で微笑みの練習をするんです」というHの答え。
彼の説明によると、ナンシーは最も美しい自分の微笑を手鏡で探し求めている。毎日十五分の日課だという。
日本の娘は「外の人に微笑むと誤解される。笑みは顔見知りの人にだけ」と母親に諭され育つ。同一人種、和の文化・日本では内なる人々だけに微笑むのがマナー。
他人種、他価値化の米国は個人主義の対決社会。一歩外に出ると誰が味方か敵かわからない。
だから「あなたの敵ではない」というシグナルを四囲に送る必要がある。微笑がシグナルの役目を果たしている。
夫人は娘が対決社会を生き抜く技、美しい笑みの完成を願っている。笑みが対決社会の「潤滑油」と固く信じるからだ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。