後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第322回 歴史認識の違いを併記したら?
2015-04-23
ああ言えばこう言う。ああ言われればこう言い返す。
仮に白鷺城を遠望させて感想を求めると、ベスには白色に見えてもロイには黄色に見えると言われることもある。
個人の意見は容易に一致しない。まして国が違えばなおさらだ。
例え公明正大を誓っても慕う祖国がある限り、祖国寄りの見方や解釈をついしてしまう。
歴史認識としての慰安婦解釈で、韓国人は「慰安婦は二十万人で、日本軍による強制連行だった」と言う。
日本人は「慰安婦は強制ではなく売春婦で、数も五万人を超えることなどない」と言う。
今年の教科書検定で竹島、尖閣など領土に関する記述が大幅に増えた。慰安婦、南京事件の記述も軒並み改められた。
中韓が「歴史歪曲、捏造、挑発だ」と反発するのは当然のことだ。愛国の情はとかく衝突する性格のものだから・・・。
しかし・・・互いの主張を繰り返したとて何の意味があるだろう。そこでは相手を責める怒声が響くだけだ。
ならば解釈の分かれる部分を中高教科書に併記したらどうだろう。
例えば日韓の歴史学者が改めて会合を開き、歴史認識の異なる項目を五十とか百とか選ぶ。
その作業が済んだら政府の出番だ。解釈の異なる項目を教科書に併記する旨の協定を結ぶ。
日韓の教科書編纂者は協定に沿って正確な併記をする義務を負う。
学者の会議で、違いを認めた違いの解釈を併記するのだ。
邪な記述を併記に潜ませたりすると、罰として世界の大新聞、テレビに『訂正』を出さなければならないことにする。
邪な記述をした国の名前を世界の民に知らしめるよい機会になる。嘘つき国家であることを白日のもとにさらすのだ。
併記の教科書を学ぶ生徒にも大きなメリットがある。
双方の解釈の違いを素早く知ることで当事国の洗脳教育を見破ることができるし、視野をより広げることもできる。
解釈の併記で問題の解決になるとは思わないが、解決に向けた前進には必ずなる。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。