キム・ホンソンの三味一体
vol47 争いの手が思いやりの手に
2015-07-30
時の経つのは早いもので、わが家の双子ボーイズはもう1歳と4ヶ月です。最近では走ったり登ったりもできるようになって益々目が離せなくなりました。すでに娘が生まれた時につけたチャイルド・プルーフの装置(引き出しや電気のコンセントなどのロック)だけでは間に合わず、ドアノブをはじめ棚の開きにまでロックを補強したり、男の子のワイルドさに驚かされる毎日です。
だんだんと人間の性というか、キリスト教で言えば原罪のような姿も見受けられるようになりました。一つのオモチャを取り合った結果、誰も遊べないうちに壊してしまったり、ママに抱っこしてもらっている時に、もう一人が近づけないように牽制するしぐさなどです。まさに今世界で国と国、民族と民族の間で繰り広げられている争いごとがそれではないでしょうか。この点において私達大人は全く成長していないどころかむしろお互いへの憎しみと暴力を増長しているようです。
私の知り合いに、子供を持たないというライフスタイルを選んだご夫婦がいるのですが、以前その理由を聞いたことがあります。「暴力や嘘や争いしかないようなこの世の中に生まれても仕方がない。むしろかわいそうだ。」と言っていました。確かに世界の未来について考えた時、希望を持てないことの方がはるかに多いと思いました。私達夫婦は子供を持たないどころか3人もの子供をこの世に誕生させてしまっていますが、それは根っからの楽天主義からではなく、神に委ねるという信仰に助けられているような気がします。自分達の手で壊してしまった希望を再び見出すことができるように導いてくださる神への信頼といったところでしょうか。3人の子供たちがその見出すパートに少しでも貢献できるのであれば親としてこれ以上嬉しいことはありません。
先日家内が双子ボーイズにご飯を食べさせていたら、なぜか一人の機嫌が悪く泣いてばかりいました。オムツもきれいですし、普段だったらご飯の時ほど静かな時はないぐらい食いしん坊で、なぜ泣くのか分かりませんでした。すると隣りに座っていたもう一人が自分のミルクの入ったボトルを泣いている方に渡しました。受け取って一生懸命飲み出しました。調べてみたところその子のボトルが詰まって全然何も出て来ない状態でした。ようやく二人ともニコニコになりました。争いの手が思いやりの手にかわる瞬間を目撃した気がしました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。