キム・ホンソンの三味一体
vol48 心配事の色々
2015-08-27
双子が生まれて今月でちょうど1年5ヶ月になりました。おぼつかないながらも歩いたり走ったり出来るようになりました。最近よく考えるのですが、子供に対する親の心配というのは、いつまで経っても尽きることがないもののようです。
私達の場合、最初の頃は髪の毛が一生あんな炎のような生え方だったらどうしようとか、子供が眠くてぐずっているだけなのに何か大変な病気ではないかと心配したりしたものです。そして最近では果たしてオムツがとれるのはいつなのだろうかとか、ご飯を自分の半径1メーターにまき散らさずキレイに食べられる日は来るのだろうかというのに変わりました。心配事はこのようにたわいのないものばかりですが、中には一度は考えてみた方が良さそうなこともあるように思えます。
それは例えば「うちの子はどうしてまだハイハイも出来ないのだろう?」「言葉が普通より遅いのではないのか。」といったものです。よくよく考えてみるとこれらは他の子と比べた心配事です。要するに世界で二人といない我が子の価値を相対的な価値基準を当てはめて決めようとしている訳です。親にもまたやがてはその子にも悪い影響が及びそうな予感がします。
私達大人は自分が幸せかどうかを他人と比べることでしか確認できないときがあるのではないでしょうか。さすがにここまで考えると自分の子をよその子と比べることはやめようと思えるようになりました。「双子が高校生になってもオムツが取れないでいたとしてもかまわん。私が校長と合って話す。」「二十歳になってもまき散らしでしかご飯が食べられないのであればそれはそれで良し。食べ終わって自分で掃除すれば良い。」と覚悟を決めてしまったらとても気持ちが軽くなりました。しかし先日会社でのことです。1歳8ヶ月の子を持つ職員が「うちの子は日本語と英語を合わせてもう300語も話せるのよ」と話しているのを聞いてしまいました。うちの双子があと3ヶ月で300語を話せるようになるのだろうか。そのためにはこれから298語をしゃべらないといけない計算です。絶対に無理です。するとそこにたまたま私達同様双子の赤ちゃんがいる職員が「うちの双子は1歳6ヶ月なんだけどまだ一言もしゃべれないのよ。」と言うのが聞こえました。なんと慰められたことでしょう。と同時に我が双子にはこんな父親を反面教師にして、他人と比べない生き方を貫いてほしいと願ったものでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。