キム・ホンソンの三味一体
vol49 生かされている日々
2015-09-24
毎年9月になるとあのアメリカ同時多発テロ事件のことを思い出します。あれだけの人々の命が奪われたテロ事件を経た今、アメリカは、世界はそれ以前より少しは安全な場所になっているのでしょうか。なかなかそう言い切れないように思えます。常に世界のどこかでテロや紛争や事件に巻き込まれ罪のない人々の命が奪われているのが現状のような気がします。そしてそのようなカオスの中でも新しい命が与えられ九死に一生を得た人がいることもまた事実です。
そう考えると我々が安全だと思っている日常も実はそうでもなかったり、自分達の安全を保障してくれるものは何一つないことに気づくのではないでしょうか。自分が自分の力で生きていると思っていたところに、実は自分を超えた大きな存在によって生かされていたのだということに気づく瞬間でもあります。自分が生かされているということは、それこそ毎日が得していることばかりということになります。理不尽にも多くの人々が命を失っている中、今日も新しい朝が与えられたということは、こんないい加減な自分にもどこかできっと役に立てることがあるということかな、と考えたりもします。
今日も愛する家族と一緒に生きることを許されていると考えると、3人の子供たちに何かポジティブな影響を与える使命が自分にはあるのだと思うと同時に、ただただ嬉しくなります。子供たちの怪我や病気、または骨折りの子育てに疲れ自分たち夫婦以外に頼れる家族のない移民(?)生活を嘆くこともありますが、その度に根本的なところでの大きな幸運そして恵みを思い起こすと「なんてラッキーだろう」と心がすっと軽くなります。
先日、今月からキンダーに通い始めた娘が、憧れのディズニーのプリンセスみたいに氷をつくるマジックができたらなあとため息をついていました。そこで「□□□がスマイルするとパパとママはハッピーになって踊り出しそうになるよ。これもマジックなんだよ」と言ってあげました。自分でもちょっといいこと言えたかなといい気になって「キンダーの先生とお供達にも教えてあげて」というと、冷めた顔で「そんなことみんな知っているよ。みんな同じよ」と大人な対応でした。なんだか寂しい気持ちにさせるマジックでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。