後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第349回 オーロラコンサートと芸能界旧聞
2015-11-05
アンジェラ・アキは女さだまさしと言われるそうだが、確かに話がうまい。話し出したらとまらないところもさだに似ている。
オーロラ日本語奨学金基金(阿岸明子理事長)主催のアキのコンサートに出かけたが、歌手活動を中止してUSCで勉強中だという。
彼女の「手紙」は有名だが、声量があるから「津軽海峡冬景色」を歌わせても石川さゆりより耳に快かった。
さだとはかつて総領事公邸で話したが、同級生の女の子が加州立大学の先生をしているとのことだった。それが何と友人の奥さんの柴田節枝教授だった。
LA特派員をしていた七○年代末、ベガスのピンクレデイショーを取材する破目になった。
日興証券を脱サラした貫泰夫がミーとケイを引きつれ、「ベガスで日本人初のコンサートをするからカバーしてほしい」と東京本社の外信部長に頼んできたからだ。
本番前日二人に会ったが、貫が命じたのか答えるのはケイで、ミーは微笑んでばかりいた。
芸能取材はこれが始めてだった。旅費、宿泊費、食費を貫持ちで東京からやってきた週刊誌各社の記者約二十人が陽気に食事をとっていた。
本番前なのに原稿は既に書き終えたという。群れのリーダーらしい男が愛想よく近づき「ミーとケイを励ます記事をお願いしますよ。ベガス初挑戦なので」と言った。
芸能界の出来レースを垣間見た思いがした。
五木ひろしも後年、ラスベガスで歌ったが、このときは五木の後見人の作詞家、山口洋子と事前に会った。
「五木はヤクザ物なんかを歌わせたら一番いいのに」と言ったら「よごれ物は人気が落ちてから」と答えたのを憶えている。
友人の日テレ・デイレクター面高昌義が妻の五月みどりとしばらくLAに住んだことがある。
とてもうまい家庭料理を出すので感心していた。電子レンジ風の容器を既にもっていて、それをフルに活用していたようだ。
油絵を描く五月は自分のヌード絵を二階の壁いっぱいに架けていた。 「一つあげるわ」と言われたのに持ち帰らなかった。
惜しいことをした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。