キム・ホンソンの三味一体
vol54 敵を愛せよ
2016-02-25
先日、幼稚園の園児達にイェスの山上の説教の一つである「敵を愛せよ」についてお話しをしました。「4歳児達でも分かるように説明できない命題は自分でもちゃんと分かっていない命題である」というのは、園児達に関わるようになって見出した法則のようなものですが、今回もつくづくその通りだと痛感しました。まず「敵」という概念が難しかったです。童話やアニメに出てくる「いい人」と「わるい人」をあげさせるところから始めました。「アンパンマンとバイキンマン!」。そこでバイキンマンが普通に歩いているアンパンマンを後ろから叩いたらアンパンマンはどうするかと尋ねました。「(バイキンマンを)やっつけちゃう!」とみんな当然な顔で答えました。「でもイェスさまは自分に意地悪する子に仕返ししないで、逆にアンパンが二つあったら一つあげなさいって言ってるんだよ」というときょとんとした顔になりました。「先生の娘がみんなと同じ4歳に時の話しなんだけどね。」と話し出しました。
当時の娘のプリスクールには「ジェシー」という男の子がいて、娘に意地悪していたようです。そんなある日、娘のお誕生日会でのハプニングです。「ママ、なんでジェシー君が来てるの!」なんとジェシー君が来ていたのです。お母さんの後ろに隠れてもじもじしているジェシー君はきっと「どうして自分がよばれたんだろう?」と不思議に思っていたことでしょう。実はクラスにはジェシーちゃんという娘と仲の良い女の子もいて、ママは娘のリクエストを間違えて二人とも招待してしまったのでした。
「みんなは次の日ジェシー君がまた意地悪したと思う?」との質問にほとんどは「もう意地悪しない」と答えました。今回は意地悪をされる側だけじゃなくて、する側にも自分を置き換えられたようでした。「そう、いつも意地悪ばかりしてた自分がお誕生日会に呼ばれたことで、それからはすごく良いお友達になったんだよ。」「みんなもこれから誰かに意地悪されたら仕返しするの?それとも反対にやさしくしてあげるの?」「やさしくするー」とややテンションの低い返事が返って来ました。大人の世界においても、個人的な人間関係だけに限らず国家的なレベルやグローバルなレベルにおいてもなおさら、敵を取り除くのではなくかえって愛していく努力なしでは世界の存続という希望は見出せないという現実を突きつけられます。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。