1000字で文学名著
第6回 『斜陽』 太宰 治
2016-06-14
筆者は高校二年生のときに一度、大学二回生のときに一度、太宰 治の『斜陽』を読んだことがある。読後、あまり心が動かされなかったので、どういう意図で書いているのか分析が始まった。
当時、『斜陽』はベストセラーとなっていた。没落してゆく四人の運命を描いた太宰は、出版当時、「斜陽族」という意味の言葉を生み出すこととなり、斜陽という言葉にも、国語辞典に「没落」という意味が加えられるほどの影響力があった。
『斜陽』はロシアの劇作家アントン・チェーホフの、晩年の戯曲『桜の園』を意識して創作したことを太宰本人が語っている。
『斜陽』には聖書からの引用が多く、英訳を手掛けたドナルド・キーン氏は、翻訳をする際に省略の必要性を強く感じたと述べている。
まえおきが長くなったが、簡単なあらすじを記したい。
戦後、GHQによる急激な民主化政策によって、財閥解体で没落貴族になったことにより基盤を奪われて、母と、その母を尊敬する娘のかず子は、東京の家を売却し伊豆で暮らすことを決意する。
弟の直治が戦地から復員。直治は家の金を持ちだしては東京に出向いて、無頼派の小説家、上原のもとですさんだ生活に明け暮れていた。
その後、直治を介してかず子は上原と運命的な出逢いをする。自堕落な生活を送る既婚者の上原に強く心が惹かれていく。
そんな折、母が結核で他界。かず子は母の死をさかいに、「恋と革命」という一見無謀ともいえる生き方を選ぶ。直治も麻薬を絶つことはできず、上原の妻への実らぬ恋に苦悩する。かず子と上原の不倫を知って、遺書をのこして直治は自害する。
かず子は上原の子を妊娠したことで、上原はしだいにかず子に距離をおきはじめた。かず子は一人で子供を育てることを決心。「古い常識と争い、太陽のように生きていく」と、上原に手紙をしたためる。
太宰は、女性解放運動家、平塚雷鳥(らいてう)の「元始、女性は太陽であった」からヒントを得て、かず子の台詞を思いついたのではなかろうか。
無頼派の小説家上原は、自身も無頼派の作家であった太宰 治の分身である。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。