キム・ホンソンの三味一体
vol60 ずっと変わらないで!
2016-08-25
「ずっとこのまま変わらないで欲しい」これは子育てをしている、またはその経験のある人ならきっと共感できる親としての他愛ない願いではないでしょうか。先日、コンピュータのデータ整理中に、娘がまだ2歳だった時の写真が出て来て懐かしい気持ちになりました。親バカを承知で言いますと、今も可愛いけれどあの時はまた違う可愛さがありました。「同じ」という言葉がどうしても「おんだんじ」になったり、スプーンやフォークの持ち方が自転車のハンドルの持ち方になってしまったり、直してあげながらも可愛いものでつい「ずっとこのまま変わらないで欲しい」と心のどこかで思っていました。
娘が3歳の時だったでしょうか。双子が産まれたばかりであまり娘にかまってあげられない事をかわいそうに思って、妻が「□□□はママの初めての赤ちゃん、大好きよ」と言った時、娘は即座に「ママは私の初めてのおとな、大好き」と答えたのが可愛くて今でも憶えています。しかし、これらの事は親の願いとは裏腹に娘の成長と共に消え去って行く事もよく承知しています。いつか大好きだったパパやママよりも友達の方が好きになって、そしてやがては自分の力で生きて行くようになる、これをサポートしてあげるのが親の役目だとは分かっています。ただ、変わらない何かが残って欲しいというのも本音です。
つい先日のことです。娘と二人でスーパーに買い物に行きました。暑い日だったので娘はお気に入りの水筒を片手にカートに乗ってあれが欲しいこれが良いなどとはしゃいでいました。ところが家に帰ってからその水筒をカートに置き忘れたことを思い出したのです。泣き崩れた娘に「神様にお祈りしなさい。きっとまた見つかる。」と言うと、娘はおぼつかないことばで泣きながらお祈りをしました。無くなっていたら新しいのを買ってあげるつもりで一応お店に戻ってみたところ、なんと水筒が見つかりました。家に帰ると娘が飛び跳ねて大喜びです。「パパありがとう」を期待していたのに、娘はなぜか2階に走っていきました。戻って来て「パパ、神様にありがとうのお祈りして来た」と言いました。「これはこのまま変わらないでずっと残りそうだ。」と思い、嬉しかったです。
そしてその翌日の朝のことです。娘の毎朝の儀式が始まっていました。「起きなさーい」「いや、ねむーい」「学校行かないの?」「行きたくなーい。つかれてるからむり」「10数えるまで起きないと土曜日に□□ちゃんとこに遊びに行かないよ!」「もぉーーわかった」。正直な話、我が家のもう一人の女子、娘にとっての「初めての大人」の前例からすると、これもまた確実に残るのだろうなと思いました。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。