キム・ホンソンの三味一体
vol69 本当の偉大さについて
2017-03-09
去年のクリスマスカードの家族写真には初めてローマンカラー(聖職者用のシャツ)を着て写真を撮りました。するとそのクリスマスカードをもらった家内の会社の同僚が、カードをオフィスに飾った為に、家内が実は「牧師婦人」であったことを社内にカミング・アウトする結果となってしまったそうです。家内によると、まだ話したこともなかった別の部署のスタッフがわざわざ出向いて来て悩みを打ち明けて、どうか一緒に神に祈って欲しいとそのスタッフにお願いされたり、また先日は一人のアフリカ系アメリカンのスタッフに「なぜ神はトランプが大統領になることを許されたと思うか」と聞かれて返事に困ったそうです。
なるほど。そういわれれば、既存の政治家達にうんざりしたいわゆる「シャイ・トランプ」達の蜂起などといった我々人間側の理由でなく、神側の理由は一体何だったのでしょうか。それは、おそらく我々人間の自らの強さを誇る「おごり」を虚しいものにするためではないでしょうか。聖書の中に、「神は知恵ある者の知恵を滅ぼし賢い者の賢さを意味のないものにする。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。」という言葉があります。要するに「アメリカをもう一度偉大に」と言うところの彼らのアメリカは決して偉大なものではないことを知らしめるところに、その理由があるのだと聖書は語りかけていると私は思います。そもそも彼らが偉大だったとする、もう一度そうなりたいと思っているアメリカは具体的にいつのアメリカを指しているのでしょうか。おそらく何となく今より経済的に豊かで、今より多人種でなかった時を想定しているのでしょう。しかし、それらの豊かさと強さの陰には必ず、様々な犠牲を強いられた弱い立場の人々がいたことを忘れてはならないと思います。それは日本や韓国、その他のどの国々にもすべて同じように当てはまることです。
先日、インド系の同僚の牧師から、温厚で良い父親だった彼の知人が地元のバーで知らない白人の男性に「この国から出て行け」と銃撃され殺されたことを聞きました。いずれ「このようなアメリカは決して偉大でない」ということが露わになって、それまでの圧力に屈せず弱い立場の人々を守るために戦って来た個人、グループ、そして共同体が称えられ、大勢の人々が本当の意味での偉大さとは何かについて考える日が必ず来ることを信じています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。