後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第429回 寿司伝道師、LAに青山を置く
2017-06-08
江戸前握り寿司とは東京湾(江戸前)で獲れた魚介を酢飯で一口大に握った寿司のことだ。
文政十三年(一八三○年)刊の「嬉遊笑覧」(喜多村信節)によると、立ち食いの「松が鮨」が深川六軒掘に開業している。
考案者は両国の華屋興兵衛とも安宅の堺屋松五郎とも言うが、さしたる証拠はない。
寿司店は全国に二○一四年現在で、二万四○六九店ある。
ここ十年の世界的寿司ブームで業界はうれしい異変に沸いている。米国だけで約三万店、日本を除く世界に約七万店ほど開業しているという。
米国だけで日本を超える店舗の数はこの四月死去した金井紀年氏(九四)以外に誰一人想像できなかったことだ。
金井氏は一橋大在学中に学徒出陣、六四年渡米、LAに日本食総合商社「共同貿易」を創業、六五年LAの川福レストランを説いて全米初のスシカウンターを作らせた。
和食普及に賭ける同氏の情熱が実を結び寿司を含む和食は一三年、ついにユネスコの無形文化遺産に登録されるまでになった。
誰言うとなく同氏は寿司の伝道師となり、二度の叙勲に浴している。
○六年に宝酒造常務(同社米国社長)を退職した山本耕生氏を副社長として迎え入れた。
「ニューヨークを制する者は世界を制する」を合言葉に陣頭指揮し、入社十年で業績二倍以上を記録、同氏を迎え入れた金井氏の目に狂いがなかったことを実証した。
一三年創業者の金井氏は会長に、山本氏は社長に就いた。
別会社、支社等配下で働く従業員四百人以上の頂点に立った山本氏は、共同貿易中興の祖と仰がれている。
亡くなった金井氏は「人生至るところ青山あり」と言っていた。
「男児志を立てて郷関を出ずれば」で始まる幕末の僧、釈月性の七言絶句の結句の部分だ。
「人生、どこにでも墓となる場所はある」という意味で、郷里群馬ではなく異郷LAに青山(墓)を構えると自らに言い聞かせていたようだ。
訥弁の金井氏に「人生至るところ青山ありですな」と言われた時のあの声が耳に残っている。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。