キム・ホンソンの三味一体
vol90 私達のホーム(帰る場所)は?
2017-12-28
クリスマスと年末年始のシーズンになりますと、知り合いの方々がよく里帰りをされたりします。私達の場合はどちらかといえば、これまでオフシーズンでできるだけ込んでいない時期を選んで実家に帰っていました。しかし双子ボーイズが生まれてから3年ほどは、飛行機に乗ることがおっくうでまだ一度も帰っていません。しかし、根本的には「里帰り」という、自分達の原点であるとするところに時折帰って自分のルーツを記念(?)したいという感覚が、僕にはないということが原因かもしれません。それはおそらく僕が韓国で生まれ、日本で育ち、アメリカで家庭をもって仕事をしていることが反映されているのでしょう。
そんなある日、家内からおじいちゃんやおばあちゃんをはじめ親戚に時々会わせてあげないと子供達の情緒を育てる意味でもよくないと言われ、それもそうだと納得し来年の夏休みには日本と韓国に帰ることに決めました。来年まで双子ボーイズがもう少し良い子になって飛行機でスヤスヤ寝てくれることを今から祈るような気持ちです。
そして先日のことです。前に買ってあげた子供用の聖書を読んだ娘が僕に「パパ、イェス様はどうしてお家に帰れなかったの?」と聞いてきました。ヘロデ王が将来イェスに自分の王座を奪われるかもしれないと恐れてイェスの命を狙ったことで、イェス一家は旅先のベツレヘムから実家のナザレに帰れずエジプトに逃れたことを聞いていたのです。そう考えるとイェス一家は、ロヒンギャ民族やシリアからの避難民のような当時の「難民」に間違いなかったと思います。
当地の政治的物理的迫害や弾圧から逃れて自分の故郷を後にしなければならない難民の苦しさと惨めさは私達では到底想像できません。しかしながら、彼らは故郷を去らなければならない惨めさよりは、自分の家族の命を守るために向かうべき行き先の方に焦点を合わせていたのではないだろうかと思います。すなわち彼らの属すべき場所、本当の意味でのホームはけっして国や地域や生まれ育った故郷ではなく、夫や妻、親や子としての家族そのものだったのだと思います。
私のホームはあなたです。私達のホームは私達ですとハッキリ言えること。そしてそのことに基づいて安全なホームを求めている人々を、教会としてしっかり支援して受け入れることが、2018年に向けての牧師としての私の抱負であり、家族と共有したい理想でもあります。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。