キム・ホンソンの三味一体
vol91 クリスチャンになっても変わりません
2018-01-11
先日、ある読者の方からメールをいただきました。彼女は若い頃日本でアメリカ人のご主人と出会いました。アメリカに移住してもう40年近くになるそうです。日本の家族と離れて暮らす寂しさはあったものの、そのことを補って余るほどご主人は彼女を大事にしてくれたそうです。彼女はご主人とさえいれば他に誰も要らない何も必要ないと思えるくらいにご主人の愛に守られご主人だけを見ながら生きてきました。だからこそ子宝に恵まれなかったことに対しても、自分の心のうちを打ち明けられる友人が一人もいないことに対しても、何とも思わないで生きてこられたそうです。しかし、2年前、その彼女のご主人が病に倒れあっという間に亡くなられました。それ以来彼女は、生きる理由を失ったかのようにただただ無気力でため息ばかりの毎日を送ってきたそうです。そして先々週の私のコラムに書かれていた「私のホームはあなたです」をたまたま読んでメールをくださいました。
「最愛の伴侶を失ったことは、もう地上には自分のホームはないってことでしょうか?もしクリスチャンになればもっと強くなって自分の人生をしっかりと生きていけるのでしょうか?」という彼女の質問に、私は、クリスチャンになることで精神的に強くなったり、悲しみや悩みが消えることは決して無いことをお話ししました。キリスト教に、クリスチャンになれば商売が繁盛し、病が治り、道徳的にもしっかりした立派な人間になるといった教えはありません。そうではなく、むしろ弱い自分、無力で虚しい自分が浮き彫りになります。同時に、自分のその弱さを受け入れられるようになることは事実です。
人生は、誰にとっても嬉しさと悲しみ、喜びと苦痛、善と悪、健康と病いの組み合わせです。しかし、私達を(クリスチャンであってもなくても)愛し守ろうとするキリストを信じることで、私達は安心して、傷つきやすく弱い自分の本当の姿を隠さずに認めることができます。
本当のところの自分達の姿、すなわち、私達は実は弱く寂しく虚しく空っぽであるという、その痛々しい現実をそのまま包み隠さず認め受け入れられることは、大きな慰めではないでしょうか。そういう意味ではキリストによって自分の弱さを受け入れられる強さが与えられることは事実だと思います。
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