キム・ホンソンの三味一体
vol95 Lさんとの思い出
2018-03-08
Lさんは私がOCのある教会で牧師を勤めていた時に知り合った台湾系アメリカ人の高齢者の方です。もう十数年以上も前のことですが、ある日、教会の方に電話があり、そこの教会に行ってみたいのだが車がないから困っているとのご相談を受けました。それがLさんでした。その頃私はLAのダウンタウンに住んでいて毎週OCの教会に通っていたので、たまたま同じくダウンタウンに住んでいらしたLさんを車に乗せて毎週教会に行くようになりました。
Lさんはとにかく日本語と日本の文化が大好きな方でした。教会に行ってみたいと思ったのもたまたま羅府新報に載った私のエッセイを読んだのがきっかけだったそうです。とにかくただ日本語が話せるという共通点があるだけで、後は何もかも違う不思議な二人だったと思います。教会の帰り道にLさんのお買い物で中国系のスーパーによったりすると、最初は周辺から親子だと思われます。しかし、Lさんが欲しい物が見当たらない時は、一応は片言のマンダリンで店員に聞くのですが、それが通じない時は私が日本語から英語に通訳して店員の方に説明をする訳です。すると必ず不思議そうな目で見られるのですが、その度私達はなんだか楽しくなって互いの顔を見ながらくすくすと笑ったりしていました。
Lさんは、とにかく情が深いというか人としての温かい人でした。旧正月のような特別は日には、Lさんの息子さんや娘さん達がLさんのところに全員集まります。そこに私も喚ばれて行きますと、(普段からもそうですが)私を本当の息子の一人にように温かく接してくださっていました。心が芯から温まるような感覚を今でも覚えています。
その後、Lさんは健康上のことで教会に来られなくなり自然とお会いする機会もだんだん減っていきました。そして私がダウンタウンから引っ越してからは益々お会いすることがなくなってしまいました。そのLさんがお亡くなりになったと連絡受けたのはつい先日です。連絡をくださったご遺族の方曰く、この数ヶ月、入院中に私のことを思い出されて、元気にしているのかな、と気にかけてくださっていたそうです。ご遺族の方は私の連絡先を持っていませんでしたが、たまたま遺品の整理をしていた時、Lさんがこのコラムを切り抜いて束ねておいたのを見つけてご連絡をくださったのでした。
不思議なことに、またも「日本語」が切っ掛けになってLさんと繋がることができました。Lさんの魂が慈しみと愛に溢れる神の御手の中で安らかに眠ることを祈りながら、Lさんのことを思い出しています。心が芯から温まる思い出です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。