旅は呼んでいる。
vol.21 ドイツ 〜ベルリン〜
2019-01-10
シンデレラ城のモデルとされるロマンチックなノイシュバンシュタイン城やゴシック建築の最高峰ケルン大聖堂、美しい景観の古都ドレスデンなどドイツには各地に観光名所が散りばめられている。しかし、ドイツに行くなら筆者はベルリン一択だった。
理由は、第二次世界大戦、そしてホロコーストを引き起こしたナチ党党首ヒトラーが政権の本拠地とし、最期を迎えた場所であること、戦後は東西に分断され冷戦の象徴ともいえる“壁”があったこと…そういった悲惨な歴史の爪痕が遺されている都市だからだ。
親衛隊とゲシュタポの本部跡にある“テロのトポグラフィー博物館”には、なぜ多くの国民がナチス政権を熱狂的に支持するに至ったか、その過程がわかるよう、二度と繰り返さないようにという意味を込めた資料と写真が展示されていた。当時発行されていた新聞や、街で迫害され処刑された人々、カメラに向かって笑顔を見せる親衛隊員、エルサレムで裁判を受けるアイヒマン…館内はたくさんの来場者で溢れていたのに、恐ろしいほど静謐だったのを覚えている。
また、ベルリンから少し離れたオラニエンブルクという街に“ザクセンハウゼン強制収容所”がある。入り口の門には、幼い頃に見たアウシュヴィッツ強制収容所の記録映像と同じ“ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)”の文字が。広大な敷地には、白いタイル張りのベッドが置かれた病棟のようなバラック、収容者を罰するためであろう三本の柱、遺体を焼くかまどなど『ここで何が起きていたのか』を肌で感じる展示物が多く、さすがに気分が重くなった。
唯一観光気分でいられたのが、東西ベルリンの境界線上にあった検問所、チェックポイント・チャーリー。近年だと映画“ブリッジ・オブ・スパイ”にも登場、パスポートに当時のスタンプを押してくれるサービスもある。
今年は第二次世界大戦の開戦から80年、ベルリンの壁崩壊から30年―暗い話ばかりになったので、次回はベルリンの“陽”の部分をご紹介します。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。