キム・ホンソンの三味一体
vol.112 敵を愛するは自分のため(?)
2019-03-07
先日は、教会に集った皆さんとコーヒーを飲みながら「敵を愛しなさい」という聖書のことばについて話し合いました。皆さんのお話しによれば、意外と職場や学校などの生活の場に「敵」だと認識している人が存在するということでした。ここでいう敵とは、理由もなく自分に嫌みを言ってきたり、嫌がらせをし、悪口を広めたりするような、そういう人のことを指しています。そしてそのことをお話しする時の皆さんの表情というのはチラチラとなかなか厳しいものでした。そういえば私の方もうちの庭でこっそりトイレをして逃げる野良猫のことを考えたり話したりする時は、とても恐い顔になると家内に言われたことがあります。
聖書のことをあまり知らない方からすると「教会は人々に無理難題を突きつけるところなのか。敵を愛するようなことでどうやってこの弱肉強食のような世の中を生きていけるのか。」とナンセンスに思えるかもしれません。しかし、実は文字通りの意味ではありません。イエスの話しを聞いていた群衆は、当時社会の中で最も貧しく虐げられていた身分の低い人々でした。「敵を愛しなさい」に続いて右の頬を打たれたら左の頬を差し出せとも書かれていますが、多くの場合当時、頬を打たれたのは身分の低い者だったようです。右利きの人が相手の右頬を打つ場合、当てるのは手の甲です。それは侮辱を込めた叩き方だそうです。そのため、身分の高い者が低い者に行う仕打ちだったと言われます。頬を打たれそうになった時に抵抗をすれば、更に酷い仕打ちを受ける、下手をすれば殺される可能性だってあります。イエスは、たとえ無様だとしても、這いつくばってでも生き抜きなさいと言っているのです。また、自分の魂がむしばまれるのは、人から受けた憎しみではなくして、自分が人に対して持ってしまう憎しみや復讐心によるものです。だからイエスが、敵を赦し愛しなさいと言ったのは、敵のためではなく、自分自身のためにそうしなさいということになります。
毎週日曜日午後2時に礼拝と楽しい交わりの時間があります。聖書のことをもっと知りたい方、クリスチャンでも他宗教の方や無宗教の方でも大いに歓迎いたします。
「聖霊の実ルーテル教会」
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。