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コラム

編集部
AFTER SUGIHARA SETSUZO KOTSUJI's AID TO JEWISH REFUGEES 命のバトンをつなぐ人々Part 5

2019-05-25


講演をする山田氏(左)。写真はラビ・マービン・トケイヤー氏(右)にインタビューする山田氏。下に書かれているのは、初対面でラビ・トケイヤーが山田氏に言った言葉、「あなたが日本から来たクルクルパーですか?」



 誰が、日本に入国したポーランド系ユダヤ人難民を救済したのか?杉原千畝はユダヤ人難民を送り出した人、では、日本の受け入れ側は、一体、誰なのか?

 山田純大氏は、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与されたただ一人の日本人、杉原について知ると、次から次に疑問が湧いたと言う。己の疑問への答えを求めてリサーチを重ね、遂に一人の日本人・ユダヤ人の名前に辿り着く。小辻アブラハム節三だった。

 3月27日に寛容博物館で開催された「After Sugihara Setsuzo Kotsuji's Aid to Jewish Refugees」(在ロサンゼルス総領事館、サイモン・ウィーゼンタール・センター、日米文化会館が共催)にて、俳優で『命のビザを繋いだ男ー小辻節三とユダヤ難民』の著者、山田純大氏とノートルダム清心女子大学教授の広瀬佳司氏が行った講演を振り返りながら、小辻の功績を紹介するパート5。



 山田純大氏の小辻アブラハム節三の本当の姿を探る旅は、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』を観たことから始まったようだ。

 この映画は、オーストラリア人の作家、トーマス・キニーリーが1982年に出版したノンフィクション小説『シンドラーの箱船』が原作になっている。ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーはナチスによって強制収容所に入れられたユダヤ人を自身の軍事工場で労働者として雇うことで、約1200人のユダヤ人を救出した。

 これを1993年にスピルバーグ監督が映画化し、アカデミー賞でも多数の部門で受賞した。

 山田氏はこの映画を観た25年前はまだカリフォルニア州のペパーダイン大学の学生だったという。

 その後しばらくして、山田氏は、日本人にもシンドラーのようにユダヤ人をナチスの迫害からた助けた人物がいたことを知った。リトアニア・カウナスの日本国領事館の杉原だ。

 「杉原について学べば学ぶほど、多くの疑問が湧いてきました」と、幾つかの疑問について、講演で話した。

 ●杉原はユダヤ人難民をリトアニアから日本へと送り出した人だが、その後、日本では、誰がユダヤ人難民を受け入れたのか?

 ●当時、日本とドイツは同盟国だったが、この厳しい状況下で、一体、誰が、ユダヤ人難民に手を差し伸べて、彼らを助け、そして守ったのか?

 ●杉原が発行したビザは日本を通過するためのビザだったため、日本での滞在許可は3日間、長くても2週間だったという。誰が、ビザの有効期間の延長を助けたのか?

 ●誰が、ユダヤ人難民のために、安住の地を見つける支援をしたのか?

 「これらの疑問はとても重要だと思います。しかし、客観的にも、歴史的にも、これらの人々は、長年、見捨てられたままになっていました」と山田氏。さらに続けて、「日本にはユダヤ人難民を受け入れた人がいたのです。この人も、送り出した杉原が受けたものと同様の評価と賞を与えられるべきではないでしょうか?」と、今度は講演の聴衆に疑問を投げかけた。

 広瀬佳司氏の講演についての記事を読まれた読者はすでにお分かりかと思うが、小辻は杉原がイスラエル政府から授与された賞も受けていなければ、彼の功績さえ知らない人はまだまだ多い。これが、この講演会の題名にもある“After Sugihara(杉原の後)”の現状だった。

 現時点では杉原の功績のみに注目が集まっているが、杉原の続きやその周り、全体像はまだあまり広く知られていない。だからこそ今回の山田氏と広瀬氏の講演は貴重だっただろう。

 山田氏は自分自身の疑問への答えを見つけるためリサーチを重ね、ヘブライ語学者の小辻アブラハム節三にたどり着いた。そして1964年にアメリカで出版された小辻の自伝『From Tokyo to Jerusalem (東京からエルサレムへ)』の存在を知ると、手に入れて一ページ一ページを集中して読んだという。

 小辻の自伝には幼少期からユダヤ教に改宗するまでが記されており、小辻が自分自身の命の危険を犯してユダヤ人難民を救済したこと、そしてこの救済活動から日本の憲兵に目をつけられ、拷問を受けたことなどが書かれていた。

 さて自伝を読み終わった山田氏は満足したのだろうか?

 答えは否である。小辻について知りたい思いはさらに強くなるばかりだったそうだ。このあたりに、小辻、山田氏、広瀬氏の3人に共通する何かも見えてくる。

 小辻の自伝には、東京の日本ユダヤ教団の元チーフだったラビ・マービン・トケイヤーによる紹介文も掲載されていた。山田氏はそれを読んで「もしラビ・トケイヤーに会えたなら、小辻について、たくさんのことを教えてもらえるだろうに…」と思ったそうだ。 

 ここから山田氏の小辻の本当の姿を見つける旅は次の段階に進む。

 ある日、山田氏はペパーダイン大学の友人にラビ・トケイヤーのことを話した。すると友人は「ラビ・トケイヤーのこと?彼ならニューヨークに住んでいるわよ。彼に電話するわ」と答えたそうだ。予想外の展開に驚いた山田氏は「なんて言ったの?ラビ・トケイヤーを知ってるの?」と確認すると、友人は「ええ。彼は私の父の旧友よ」と、なんでもないかのように答えた。

 「小辻の手に導かれているようでした」と、山田氏。早速ニューヨークへ向かった。

 生前の小辻を知っている人物に遂に話が聞けると期待に胸が膨らんだ山田氏の姿が容易に想像できた。
 そして、待ちに待ったその時、ラビ・トケイヤーは、開口一番に日本語で「あなたが日本から来たクルクルパーですか?」と、ユーモアたっぷりに山田氏を出迎えた。「これには私も返答に困ってしまった…」と、山田氏は懐かしそうに当時について語った。

=Tomomi Kanemaru

(次回は6月8日(土)付けにつづく)

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▶︎ 1
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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