Los Angelesの顔
No. 83 武津 宣子 (Nobuko Fukatsu) さん
2019-06-15
琵琶奏者
南加県人会協議会主催の演芸会で白虎隊の日本舞踊とコラボする武津さん=2018年、アラタニ劇場(photo by Hiro Ueda)
◆琵琶をロサンゼルスで演奏することになったきっかけは。
琵琶というのはマイナーな楽器なので、最初はこのロサンゼルスで演奏する機会などあるだろうかと思っていましたが、日系コミュニティセンターやサクラガーデンズ(引退者ホーム)でのボランティア演奏がきっかけで、少しずつ活動が広がりました。
興味を持ってくださった方が、詩吟、箏、津軽三味線など他の邦楽・伝統芸能の先生方や、日系の諸団体に紹介してくださり、各種催しで演奏させていただいています。
琵琶は、今でこそマイナーな楽器ですが、ロサンゼルスの日系社会では、戦前、琵琶が非常に盛んで、様々な流派の会があり、切磋琢磨されていたそうです。
これは、日本で琵琶が盛んだっ た明治・大正・昭和の初期にアメ リカに移民された日系一世の中に琵琶を弾く方々がいらして、アメリカでも熱心に広められたそうで す。その後、戦争・日系人強制収容・戦後の離散・生活立て直しなどを経て、残念ながら琵琶を弾く人は次第に減ってしまいました。
このような歴史があるので、ロサンゼルスで演奏していると、高齢の方から「昔、父が、叔母が弾いていました」「懐かしいです」などお声がけいただきます。「誰も弾かなくなった琵琶があるのだけど、活かしてもらえますか」と譲っていただいたこともあります。
私が今、メインで使っている薩摩琵琶もその一つで、ここロサンゼルスで受け継がれてきた琵琶を弾かせていただけることに感謝するとともに、この文化を伝えていく責任も感じています。
◆武津さんが使っている琵琶について。
私が弾いている薩摩琵琶は薩摩で武家の音楽として発展したものなので、曲には戦記物が多く、奏法も扇型に大きく広がった撥の先端を琵琶の硬い表板に激しく打ちつける、勇壮なものです。初めて演奏を聴くと驚かれるかもしれません。
薩摩琵琶は、もともと絃が4本、フレットが4つ(四絃四柱)という形ですが、私は比較的新しい流派に属しているので五絃五柱の琵琶を弾きます。ロサンゼルスの日系社会で受け継がれて来た薩摩琵琶はほぼ例外なく四絃四柱なので、私が弾けるようにするには、少し改造しなければいけません。
これが思わぬ難題で、日本にいれば、専門家のところへ持って行って直してもらえますが、琵琶は壊れやすく、また象牙がついているので、海外に持ち出すのはとてもリスキーなのです。
そこで、日本の師匠や琵琶制作家にアドバイスをいただきつつ、できるところは自分で、無理なところはアメリカ人のギター製作家にお願いして直してもらいました。
改造以外にも、琵琶はとてもハイメンテナンスな楽器で、独特のビヨーンという音(さわりと言います)を出すために日頃から柱を削ったり、撥の手入れをしたり、絃も絹糸で切れやすいため頻繁に替えないといけません。これらも初期から自分で試行錯誤しながらやらないといけなかったので、逆にアメリカにいることで鍛えられた気もします。
譲っていただいた琵琶の中には100年近く前にロサンゼルスに持ってこられた琵琶もあって、元の所有者のお話によると、強制収容された時、持っていけなかったので家に置いて行ったそうです。戦後、家に戻ると家の中は散々荒らされて、金目のものはごっそり盗まれていましたが、琵琶と、一緒に置いてあった箏だけは、手を触れられずに無事だったそうです。そんな経験を経て私のところへ来てくれた琵琶たちを、愛おしく感じます。
ロサンゼルスで1932年頃から活動した薩摩琵琶(錦心流)の錦声会。前列左から5人目が会主・遠井錦声師。写真は1966年(国総流詩吟会会長・世木錦光氏所蔵)
◆琵琶を弾くきっかけは。
実は、琵琶と出会ったのは大人になってからです。最初に留学でアメリカに来た時、自分が日本について何も知らないことに気がつきました。別の文化に触れることで、自分のルーツを見つめ直す、というのは、海外に出た人がおそらく一度は経験することではないかと思います。
そこで、日本に帰国した時に日本の音楽をもっと知りたいと思い、当時弾いていたクラシックギターから連想したのが琵琶です。そういえば、琵琶って、形がきれいだけど、どんな音がするんだろうと思って、検索して聴いたCDに衝撃を受けました。時に激しく、時に静かな琵琶の音が語りと一体になって、一つの物語を音だけで表現できることに、心底驚きました。
日本にこんな音楽があったのか、と、興奮冷めやらぬうちにそのCDの琵琶奏者の門をたたいたのです。それが師匠の坂田美子先生です。もっと早く琵琶に出会いたかったと思いますが、子どもの頃に聴いていたら、そこまで魅かれなかったかもしれないし、このタイミングも含めて縁だったのだと思います。
ロサンゼルスに移住した当初は、まだ琵琶の初心者でしたので、先生が近くにいらっしゃらなくては続けるのが難しく、数年のブランクがありました。しかし、どうしても学びたくて、海をまたいで再びお稽古に通い始めました。
◆琵琶の魅力について。
楽器としての音を極めたい人、語り(声)に重きを置く人、いろいろだと思いますが、私はやはり語りと琵琶が一体になって、音(聴覚)だけで物語を立ち上がらせ、世界観を作り出せるところに魅かれています。
琵琶を全く知らない人は、器楽を聴くつもりでいて声が入ってくることに驚かれるかもしれませんが、琵琶は基本的に語り物なので、楽器と声は切り離せません。「一人オペラのような感じです」と説明をすることがよくありますが、節をつけた語り(琵琶歌)でストーリーを展開し、琵琶で登場人物の心情や情景(戦いの場面、海が荒れる場面など)を表現します。オペラと違うのは、視覚的要素がないところです。
それゆえに、音で見せたい、と思います。語り物を演奏する時は、登場人物のキャラクターや心情、情景を細かく頭の中に描いてから、声と琵琶で表現します。
たとえば老人が登場するなら、その老人は背が高いか、低いか、痩せているか、太っているか、怖そうか、どんな服をまとっているか…。聴いている人が、映像を見ているかのように、頭の中に物語が立ち上がってくるのが自分の理想です。
◆武津さんが好きな琵琶曲は。
よく演奏するのは、平家物語から「扇の的」でしょうか。中学校で平家物語を習った時、那須与一が荒れた海に浮かぶ小舟に立てられた扇を矢で射るシーンは印象的で、最初に琵琶を聞いた時、それが音楽でこんなふうに表現できるんだ!と感動しました。
また悲劇語りばかりの琵琶曲の中で華やかに終わる数少ない曲なので、お祝いの場で演奏することが多いです。
「耳なし芳一」や「竹取物語」、鶴の恩返しを題材にした「鶴」なども好きで、演奏することが多いです。これらは現代語で語るので、聴いている人に直接届くように感じますし、自分もストーリーに入っていきやすいです。
国総流詩吟会春の温習会にゲスト出演した武津さん(後列右から3人目)は芥川龍之介の「杜子春」を弾き語りした。国総流詩吟会世木錦光会長(後列左から3人目)と会員たちとの記念写真=2018年、サクラガーデンズ(Photo by国総流詩吟会)
◆琵琶演奏へアメリカでの反応について。
独特の音や奏法、節回しや間など、興味を持っていただけることが多いです。三味線は見たことがあっても、琵琶は珍しいので、楽器の構造などについてもよく質問を受けます。
でも、海外ならではの悩みもあります。一つは言葉の問題。語り物は言葉ありきなので、日本語のわからない人が多いところで演奏するときは、どうするか悩みます。
本来は、音楽としての魅力、声と楽器の表現だけで伝わるのが理想なのかもしれませんが、琵琶曲は長いので、設備があれば、できるだけ字幕を入れるようにしています。または事前に翻訳を配ったり、演奏の前に説明を入れたりと工夫しています。
それから、アメリカならではと感じるのが、悲劇が敬遠されがち、ということです。
「なぜ誰が死ぬとか、別れるとかの話がいいのか、よくわからない」という人もいるようです。日本人が悲劇語りに感じるもののあわれ、文化を貫く無常観といった共通の土台が、アメリカにはないので難しいです。やはり伝統芸能というのは、長い歴史の中で醸成されてきた共通の感覚というものが土台になっていると感じます。
◆今後の抱負は。
何よりも、もっと精進して、今ある曲を深めたい、レパートリーを増やしたいです。どんな芸術もそうでしょうが、先へ行けば行くほど、足りないものが見えてきて、芸に対して貪欲になるのではと想像しています。
同時に、他の楽器とのコラボなど、語り物に限定せずに演奏の幅を広げたいとも思っています。アメリカ人の尺八奏者と、純器楽の現代曲に取り組み始めたところです。創作にも挑戦してみたいです。ロサンゼルスで琵琶を弾いているからこそできるものがあるかな、と模索中です。
そして、ここロサンゼルスで琵琶文化を復興するお手伝いができるといいなと思います。まずは琵琶の知名度を上げて、興味を持つ人が増えてくれれば嬉しいです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。