キム・ホンソンの三味一体
vol.125 御国においでになる時には、私を思い出してください
2019-12-12
本格的なクリスマス・シーズンとなりました。教会では4つの日曜日を含むクリスマスまでの4週間を待降節と称して祝います。どこに行ってもきれいなクリスマスの飾りで楽しいクリスマスの雰囲気でいっぱいな今日この頃ですが、実のところ、私達が待っている主イエスは、けして楽しいとは言えない世界へと重荷を背負って来てくださいました。
救い主が生まれたことを知った当時の王は、王座から追い出されることを恐れて主イエスを殺そうとします。主イエスと一家はエジプトに逃れて移民としてそこで暮らすことになります。(移民・難民を毛嫌いするアメリカの一部のクリスチャン達に、イエスも難民であったことを是非知ってもらいたいものです。)
そして故郷に戻りガリラヤで宣教を始めた成人イエスは、不治の病を癒し、わずかな食料で大勢の人々の空腹を満たしたりと無数の奇跡を行いながら、全ての人々が神の恵みによって救われるという良き知らせを伝えました。しかし、結果は、当時の宗教的な指導者達に睨まれ、冤罪を着せられて死刑囚として十字架につけられて殺されてしまうことになります。
今日のコラムのタイトルは、同じく十字架につけられた隣りの死刑囚が主イエスに言った言葉です。それに対してキリストは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。私達が待ち望んでいる救い主は、世の権力と誉れを振りかざした見せかけの統治者ではありません。実際に人々と苦しみを共にし、人々の代わりにご自分を犠牲にし救って下さる方です。
幸せな人生とは、如何に裕福な生活を過ごせるかではなしに、誰と共に生きるか。どのように死ぬかではなく、誰の隣りで、誰と共に死ぬかではないでしょうか。
私達一人一人に帰る場所として与えられているホームは、建物のことではありません。愛する家族がいる場所です。血縁関係か否かに係わらず愛する誰かがいる場所です。否、むしろ愛する人(々)そのものが「ホーム」ではないでしょうか。ホームとなる誰一人も持ち得ていないこの死刑囚であっても、イエスは彼のホームとなってくださいました。
最期の時、「私を思い出してください」と祈る私達に、「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と言ってくださるキリストが隣りにいてくださるのであれば、私達の死は、どれだけ平安と希望に満たされるでしょうか。
【キムホンソン牧師の毎週の説教】
OC 復活ルーテル教会日本語部
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礼拝:日曜日、午前11時45分 (714)964-1912 california.lcrjm.com
LA 聖霊の実ルーテル教会
2706 W 182nd St Torrance, CA 90504
礼拝:日曜日、午後2時 (310) 339-9635 khs1126@gmail.com
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。