キム・ホンソンの三味一体
vol.136 「も」でなく、「は」でないといけない理由
2020-06-25
ジョージ・フロイドさんの死が “Black Lives Matter”「黒人の命は大事だ」という黒人差別に反対するムーブメントを再び甦らせました。しかし、日本等のマスコミでは、これを「黒人の命も大事だ」という風に誤訳しているように思えます。
アメリカ人としての法的権利と制度的正義の実現のための公民権運動とほぼ同時期の1960年代に、 “Black is Beautiful”「黒は美しい」というカルチュラル・ムーブメントがありました。ブラック・リスト、ブラック・マジック、ブラック・マネー等々、それまで文化的白人優越主義によって、劣等と否定の象徴として使われていた「黒」という概念を、アフリカ系自身が、自らの尊厳を取り戻すようにして再構築しようという運動でした。圧倒的多数の白い文化によって「ブラックは劣等と否定の意味だと信じろ」、と強いられていた状況にあって、彼らは「黒も美しい」ではなく、「黒は美しい」と叫んだのです。
同じく、アフリカ系の人々の命がこれほどに軽んじられているこの狂った社会、その中での法執行権力の乱用、といった状況にあって、あえて「黒人の命は大事だ」と叫んでいるのです。しかし、これを受けて、保守派の白人グループなどが “All lives matter”すなわち、「すべての命が大事だ」という風に攻撃し、“Black Lives Matter”運動を弱らせようとしたことが、まだ記憶に新しいです。“All lives matter”、確かに聞こえは良いですが、アメリカの現状という文脈から考えると、やはり、まやかしに過ぎないのだということを、同じ教区に属するある黒人の牧師が、こういう例えを用いて教えてくれました。
「ある住宅街で一軒の家に火事が起こったとする。消防車と救急車がサイレンをならしてやって来た。そして人々の群れの前に止まって一人の消防手が急いで尋ねる。『どの家だ?』そこで人々はその方向を指で指しながら声を揃えて答える。『あの家だ!!』 もちろん住宅街のすべての家は大事だ。しかし、今にも焼け崩れそうなあの家に駆けつけて火を消すことが、今は大事なのだ。「黒人の命は大事だ」と叫ばれることも、これと同じ文脈にある。」
すべての事柄は原理原則だけではなく、それが起こっている状況の中で理解されなければならない、ということを改めて考えさせられる今日この頃です。
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