キム・ホンソンの三味一体
vol.143 真理はあなたたちを自由にする
2020-11-06
日本の国会図書館の入り口には「真理はあなたたちを自由にする」という言葉が大きく掲げられていますが、これは本当の自由とは何かについてイエスが語った言葉です。
コロナ以降、生活全般で不自由を感じています。しかし、よく考えてみるとコロナ以前だって自由じゃないと思うようなことはたくさんありました。自分の人生を振り返ってみると、まず最初に自由になりたいと思ったのは受験というものです。受験から自由になりたいと進学する度に思っていました。しかし大学院を卒業してからも、受験から完全に開放されてからも、自由になりたいと思うことは常にありました。そして、結婚をして子供が生まれると、特にそれが双子ボーイズとなると育児から自由になりたい、と現在進行形で思っています。
しかし、イエスが言った自由とは、私が考えているような自分本位の自由ではありません。すなわち、受験からの自由、育児からの自由のような「何々からの自由」ではなく、「何々への自由」ともいえる自由です。イエスは、真理によって人は自由にさせられるのだと言いましたが、その真理の内容こそがこの「何々への自由」であり、イエス・キリストの生き方そのものでもあります。イエス・キリストは神の子であったにもかかわらず、人々の罪を赦し救うために、自ら人々に代わって十字架で自分の命を犠牲にしました。「何々への自由」とは、誰かを愛すために、誰かを赦すために自分を犠牲にすることの出来る自由のことです。
ちいろば先生で知られる榎本保郎牧師は、著書の中で、「私達が真剣に人を愛して行こうとすると必ずぶち当たる障害がある。それは自分自身だ。自分自身という障害がブレーキになって人を愛すことが出来なくなるのだ」、と書かれています。確かに私達は自己中心で自分本位な生き物に過ぎないところがあります。コロナによってそれがさらに露骨になって来た部分もあります。しかし、危険でリスクな立場に自分をおかないオプションがある中、あえて人々のために医療の最前線でコロナと戦っている人々のことを知ると、まだ希望が残されているようにも感じます。
自己中心で自分本位の気持ちであくせくと生きてしまいがちな世知辛い世の中ではありますが、他者のために自ら小さな犠牲を払うことのできる自由を味わいたいと思う今日この頃です。
毎週日曜日の午後3時からズームでの礼拝があります。ご興味のある方は是非メールでお申し込みください。khs1126@gmail.com
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。