キム・ホンソンの三味一体
vol156 原理主義のはじまり
2021-09-03
中世シリアにイブン・タミーヤという名のイスラム法学者がいました。13世紀半ばモンゴル帝国のイスラム圏への侵略を経験した彼は、ムスリムが野蛮なモンゴルによって侵略されるのは自分達がムスリムとしてイスラム法を厳格に守らなかったためだと主張し、今後はコーランとスンナ(ムハンマドの言行録)を、解釈を加えないで文字通りに読み実行することを唱えたそうです。そして、非イスラム教徒と彼らがもたらした非イスラム的なものを取り除くことこそムスリムとしての義務であるとし、それまではイマーム(ムスリムの大小の宗教共同体を指導する統率者)だけが判断することができるとされていたジハード(神の道のための戦い)をムスリムなら誰でも実行可能なものにしました。タミーヤの思想こそ、現在のイスラム過激派、イスラム原理主義者などと呼ばれるグループの精神的なルーツです。
そこで気づいたことですが、イスラム原理主義とキリスト教根本主義(福音主義)には一つ共通点があります。それは、イスラム原理主義がコーランを文字通り読むように、キリスト教根本主義でも聖書を文字通り読み実行するという点です。アメリカだと南部、中西部で特に福音主義信者が多いと言われますが、聖書を文字通り読んだ結果として、反同性愛、反中絶、反進化論、反共主義、反イスラム主義、反フェミニズム、性教育反対等々政治的にもハッキリした主張が目に付きます。
それにしてもイスラム教もキリスト教も元をたどれば同じ神を信じる兄弟のようなもので、すべての人を分け隔てなく愛する神の愛を実践して生きることが目標なはずですが、どうしてこうも排他的で攻撃的な考えが共通して生じるのか不思議でなりません。しかし、一つだけ良い共通点もあります。それは、イスラム教原理主義とキリスト教根本主義のどちらもそれぞれの宗教圏において、目立つことはあってもけして支配的な思想ではないということです。
最近、今度2年生になる息子が去年のクリスマスに買ってあげたスーパーヒーローのオモチャを半分に割ってゴミ箱に捨てていました。大好きだったはずなのにどうしてと思って聞いてみると、手首が折れてしまって腹が立って壊して捨てたということです。「言ってくれればパパがボンドで貼って直してあげたのに...」完璧を求めていくなか極端な行動への衝動に駆られるのは、聖書でいう私達を支配する「罪」の一つではないかと思う今日この頃です。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。