受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.18 自分にばかり目を向けていると不幸の芽が育つ1
2022-02-25
心をできるだけ利己から遠ざける。すなわち、自分のことだけを見すぎないでまわりにも目を向けてみる。すると、自分がいかに周囲から支えられて生きている存在であるかがよくわかってくるはずです。
たとえば、ものを食べる行為にしても、自分の意思で行えるのは食べ物を口に運んで、咀嚼(そしゃく)して、嚥下(えんげ)するまでです。
あとの消化、吸収は体が自然にやってくれるオートマチックな行為で、そこへ意思の力は届きません。つまり意思ができることは少なく、大半のことを体が自然に行ってくれるからこそ、私たちははじめて生命を維持できているのです。
外界との関係においても、私たちは生かされている存在です。
私たちは畑の穀物や果物、魚や動物の肉を食べて生きています。そして栄養素が消化吸収され、排泄(はいせつ)によって自然へと返る。このように、私たちの体は自然のエネルギーが一度通過する自然の一部にすぎません。
「人間は考える葦(あし)である」とは有名な言葉ですが、人間が「私という存在がある」と思考することは、地球上で人間を創造的で自由な存在にしました。けれどその一方で、私たちは、よく注意していなければ「自分」にばかり目を向けてしまうという代償も背負っているように思います。
生命の基本は「支え、支えられる関係」にあります。しかし、この相互共助のメカニズムは、自分の心にばかり目を向けている人には、なかなか見えてきません。
私に「他者を思いやること」を最初に教えてくれたのは、父でした。
私の父は私が十一歳のときに心臓発作で突然亡くなりました。事業家の父は、近所でも面倒見がいいと評判の人でした。当時住んでいた東京・葛飾(かつしか)区の実家には、たいていいつも、だれかお客さんが来ていて、父はいろいろなことに相談に乗っていたようです。
お葬式には父を慕う人がたくさんやってきて、生前、どんなに父が、愛情深く立派な人だったかを私に教えてくれました。私は子ども心にそんな父が誇らしく、父のように人のお役に立てる人間にならなければという思いがわいてきました。
医者になるために十三歳でハワイへ単身渡ったという過去を話すと、たいていの方は「変わった経歴をおもちですね」「思い切ったことをしましたね」となかばあきれたような、なかば感心したような反応を見せます。世界の僻地(へきち)へ行って医師と宣教師を兼ねながら、医療活動とともに布教活動をするのが当時の夢だったと語ると、そのあきれ顔に拍車がかかりますが、これはそのような父からの影響もあったのだと思います。
また、六人きょうだいの末っ子だったので、兄や姉たちを見ていて、早く大人にならなければと思っていたところもありました。母やきょうだいたちの足手まといにはなりたくないという気持ちが強かったのかもしれません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。