受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.19 自分にばかり目を向けていると不幸の芽が育つ2
2022-03-08
ありがたいことに、私は、「他者を思いやること」を家庭生活の中で自然に学ぶことができました。そういう教えを授けてくれた両親には本当に感謝し、尊敬もしています。自分が親になってからはいっそう、それを子どもに伝えることがいかにむずかしいかを痛感しました。
私の息子はハイスクール時代、いろいろと問題を起こし、親を悲しませることがありました。何度か息子を叱(しか)り、話し合いの機会ももったのですが、彼の不良行為はあまり改まらず、父である私も、彼をなかなか説得することができません。話し合いはこじれて、とうとう息子は最後にこう言い放ちました。
「自分の命を自分でどうしようと、ぼくの勝手じゃないか」
これを聞いて私は、私が当たり前に父に教えてもらった「他者を思いやること」を、自分の息子には伝えきれていなかったことがわかり、親としての自分をものすごく反省しました。
そこで私は拙(つたな)いながらも息子に語りました。単独で生きている、生きていられる命などひとつも存在しないこと。ひとりですべてをまかなえる存在も、この世には皆無であること。みんなつながっていなければ生きられない弱い生き物で、あらゆる命は互いに支え、支えられることでやっと生存できていること。
「だから、おまえが自分の命を粗末にあつかえば、おまえは満足かもしれないが、池に石を投げ込んだように波紋が広がり、おまえの親が苦しむ。きょうだいが悲しむ。友だちが心を痛める。知り合いが心配する。それだけおまえの言動にも影響力があり、責任もある。自分の命を自分だけの所有物、独占物だと考えるのは大きな間違いだ。それを自分の好き勝手に使うこともけっしてゆるされない」
それがどれほど有効な説得になったかはわかりません。それからも紆余(うよ)曲折あり、時間もかかりましたが、息子は少しずつその心を自己や利己から離して、周囲にも目を向けるようになってくれたようです。不良行為も噓(うそ)のように治まって、日本語を習得したいという動機から入学した日本の大学を卒業し、今は働いています。
自分の心が自分のことだけで占められたとき、人は知らぬうちに不幸の芽を育てるようです。だから、心に自分以外の領分を広げていくこと。それが幸福の種を蒔(ま)くことに通じると私は信じています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。