キム・ホンソンの三味一体
vol.167. 雛を羽の下に集める雌鳥のように
2022-03-18
「34エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」 (ルカ13:34)
これは当時のユダヤの王であるヘロデが自分の命を狙っていると聞いたイエスが語った言葉です。ユダヤの人々は自分達こそ神の民だと自負しつつも、神がメッセンジャー(預言者)を通して間違いを指摘し反省を迫るとそのメッセンジャーを殺してしまうという歴史がありました。このように何度もメッセンジャーを送る神の姿を、ひょこひょこと出て行ってしまう雛を守るために繰り返し自分の羽の下に集めようとする雌鳥に例えているのです。別のところにもこれと似た形で神の姿を表現した聖書の言葉があります。「翼を広げた鳥のように、万軍の主はエルサレムの上にあって守られる。これを守り、助け、かばって救われる。」(イザヤ:31:5)
人々はこのように、救いというものを神のこの翼のかげに入れられることであると考えていたのです。にもかかわらず人々も鳥の雛と同じで素直ではありませんでした。神のメッセンジャーを殺し、自分のわがままを貫いて生きようとしたのです。これは何も聖書の舞台であるパレスティナの地域とその時代に限定されることではありません。今日に至るまで、人間の尊厳、平和、人権を訴える多くの人々が、暴力でもって黙らされ、投獄され、または暗殺されて来た歴史があります。また、集団的な利己主義は、戦争だって簡単に起こし、ロシアのウクライナ侵攻で見るように罪のない子供達の命さえも奪うのです。ここにこそ、罪に支配されている人間の姿があります。
イエスはこの罪深い人々を政治的に、または武力で正そうとしたのではなく、自ら進んで十字架にかかり命を犠牲にすることで人間への神の赦しを得たのです。十字架にかかったイエスのその両腕をみれば、鳥が翼を広げてその下に雛を集めるように大きく広げて人々を守ろうとする姿に思えてなりません。一番無防備な、手を広げたままの姿で自分を十字架にかけた人々さえもかばうために祈っています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
今ウクライナでも同じことが起こっているのではないでしょうか。神はきっと攻撃するロシア軍を懲罰するのではなく、ただ翼を広げて降って来る爆弾や銃弾に打たれながらウクライナの人々と共に苦しみその痛みに耐えているのではないでしょうか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。